第12号 H13.2

 

巻頭
  「温 新」
            住職  標  隆光 
 

 二十一世紀を向かえて、これから先の百年がどのように変化していくのか、人間の英知がどのような発展を見せるのか、楽しみな部分と、自然環境や社会生活の問題が保たれていくのか、不安な部分もあります。私たちは地球上に生活している以上、時間の経過の中に身をゆだねています。たまたま人生何十年の中で、この節目を経験できたことは、他の新年とは違う感覚を味わえたのではないかと思います。一〇〇年を一つの区切りにして、過去を振り返り反省をして、これから向かう先の未来に計画や目標を立てることが、区切りとなる時点に与えられた特別な時間経過でもあるのです。
 表題にも有るように古くから有る物事を研究発掘し知識を得て、その土台に立って新しく始まる知識や道理を見出そうと言った考え方が、先人達の見識であったのです。これから興りうる予測も過去の法則から割り出されるものであるのです。

 物事の根本は過去に有り、これから起こりうることは、過去を(ひも)解かずして知ることができない。それが「温故知新」と言うことであり、最新電子分野の研究でも、過去のデータを元に試行錯誤の研究成果によって、新たな発見が生まれているのです。これから先もこの考え方は生き続ける事であろうと考えます。
 日本人の国民性は、新しく入って来るものや、異種のものを取り入れるときに、あまり抵抗無く受け入れることの出来る国民だと思います。過去の宗教においてもそうですし、新しいものには直ぐに飛びつく、良く言えば好奇心旺盛な国民であり、それが発展に大きく影響したことも否めません。
 これからの世紀は新たな日本人が形成され、異種文化の混合化や国際的に対応力のある民族に変化していくのだと思いますが、根底に流れる「和」の心は忘れずに先人達が(つちか)ってきた過去の文化も理解できる国民となってもらいたいと願います。
 

幸福を考える
   「互いに助け合う」

 家族に病人が出たり、苦労を背負ってしまったりするときは生涯の中で必ず有ります。これはお釈迦様が「人間界においては四苦八苦『生老病死』の苦しみからは逃れられない」と説いたところからも顕著です。このような時は個々の力が結束した上で大きな結果が得られます。
 生きていく上で障害は付き物で、万事何も無く通れるなどと言ったことは極めてまれです。心持ちとしては完璧や完全を求めないことです。誰しも大病や大怪我などには会いたくないものですが、会ってしまったとしてもそれ以上に深刻に受け止めなくとも何とかなると言う気持ちは失っては行けないと思います。良く自分の力だけを頼りにして、他人の援助に気持ちを払わない人がいますが、お医者様や看護婦さん、身内や親戚、友人知人の(はげ)ましなど何を置いても心の支えになるものです。特に信仰心というのは、常に心の柱となって「めげそうな気持ち」の支えとなってくれます。私にはこの仏様が付いて守っていてくれる。その気持ちが人間の強さとなって、病気や怪我などに打ち勝っていくことが出来るのです。

仏教の教え 3

   仏教の根本教理V 十二因縁

 今回はお釈迦様が最初に説法を行った仏教の根本教理である「四諦・八正道・十二因縁」の内の「十二因縁」について解説します。漢字の意味からも判るとおり、「十二個の因縁」であることはお判りになるところだと思いますが、ではその十二個の中身はと申しますと、

一、無明⇒迷いの根本である無知

二、行無⇒明から発展して次の式を起こす働き

三、識⇒受胎後初めて生を感ずる位

四、名色⇒母胎の中で心の作用と身体が発達する位

五、六入⇒眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が整い母胎を出る位

六、触⇒二〜三才の頃で、苦楽を識別せず物事に接する位

七、受⇒六〜七才頃から苦楽を識別して感受する位

八、愛⇒十四才以降、欲望が現れ始め苦を避け、楽を求める位

九、取⇒自分の欲するものに執着する位

十、有⇒生存中に未来の果(因果の果)が決まる位

十一、生⇒常に来世によって生まれ来る位

十二、老死⇒未来世において再び因果によって輪廻(りんね)を繰り返す

以上、一と二は過去世の因、三から七は現在の果、八から十は現在の因、十一と十二は未来の果と言うように、過去・現在・未来の三世が常に関係し(つな)がりながら、途切れることなく続いていくと言う認識をもって、生活しなさいと言う教えです。

仏教からきた言葉

人事
 人間に関するいろいろな事や、世間のことがら全般を表しています。
中国で仏教が栄えていた時代の禅宗では、お坊さん同士の初対面の場面を「人事」と呼んで、いち早く相手の能力や人格を見抜く事を指しています。これから、現在では、出身や経歴、能力などを判断して、適材に配置する機関を「人事部」と言うような使われ方をしています。

通達
 仏教では「つうたつ」とは言わず「つうつ」と読みます。一つの物事に精通し、よく知り抜いて理解していると言うのが、本来の意味です。「通だね」「食通」などの通と同じて、一つの頂点に達したと言うような意味合いに使われます。
 現在では、「相手に伝える」「書面をもって通知する」「意思・結果を相手に伝える」などの意味に使われています。特に官公庁や会社などでは告知や命令を意味する文書として、使われています。
 

冬至祭ご報告

 例年通り12月23日に行われました。当日は快晴無風の好天に恵まれ、例年を上回るご参拝者で賑わいました。今年の冬至祭には、新たに檀家の皆様のご協力により、国重要文化財「薬師如来立像」のご開帳やその他の文化財の公開を行いました。また、法要に際しては、真言宗諸寺のご住職にお手伝いいただき、今年は特に真言宗醍醐派「大聖寺」のご住職をお迎えして、行堂前にお不動様の真言を背中に書いていただき、修験道のお加持を行っていただきました。

 年々盛んになるお祭りの写真を交えながら、ご紹介いたします。当日の朝八時半からは、檀家の奥さん方や信徒のお手伝いをお願いした方々によって「かぼちゃほうとう」と「かぼちゃの煮付け」を料理する所から始まりました。檀家の男性の方たちには、会場の設営やお仏供の袋詰などの準備をしていただき、つつがなく仕度を整えることが出来ました。

午後三時には無事日程を終えて、散会となりました。慌しい中、不行き届きも多々あったと思われますが、この場をお借りして、お詫び申し上げます。また、今回のお祭りを最後に本堂取り壊しとなり、本年は新本堂での開催となりますので、ご期待頂き、お元気でお過ごしの上、再びご参拝いただけますよう心よりお待ち申し上げます。

 

●法語カレンダー解説
本年の冬至祭には「お仏供(ぶっく)」として、真言宗智山派発行の法語カレンダーをご参拝頂いた皆様にお渡しいたしました。仏教の言葉は奥が深くて難しいと言うのが定説でありますが、簡単な言葉や耳慣れた言葉に変えて「法語」として月めくりのカレンダーとしたものです。簡単な言葉であっても理解や感じ取れない意味合いもありますので、次号までの分をここに解説します。
 

一月 「初心こそ さとりの心である

 心の中で仏教を意識するとき、それは葬儀であったり、法事であったりするのが、一般的かもしれません。家にお仏壇があって、小さい時から「毎朝お線香をあげる」という方は少ないでしょう。お坊さんが唱えるお経をただ聞いているのは、つらいし足もしびれて、嫌なものだと感じていることでしょう。ここで言う所の「初心」とは「これから仏教の教えを理解し心のよりどころとして行こうと決めた時」これを「(ほつ)菩提(ぼだい)」と言います。「発」=最初、「菩提心」=さとりの境地に達した心。ですから「最初に仏教の教えを信心し仏道に添って生活して行こうとする気持ちが、本来、心の中にある仏心によって、さとりを得るために大事なものである」という意味です。

二月 「ご真言を唱えれば、おろかさがなくなる
 「ご真言」とは「陀羅尼(だらに)」とも呼ばれていますが、元々インドの原語で「サンスクリット語(梵語)」という言葉があり、経典の中には、その発音をそのまま漢字に当てはめたものがたくさんあります。3ページに「ご真言を覚えましょう」というコーナーがありますが、それぞれに意味合いがあり功徳があります。ここでは「ご真言をお唱えすることによって得られる功徳は計り知れない。ご真言を唱えることによって日常の迷いや悩みを重ねるおろかさは、すべて払われる」と言うことです。

三月 「正しい生活を送る」
 仏教修行の中には、常に規則正しい生活が求められています。
これは「正しく生きる」と言う事が仏教の根本教理であるからです。前号(第十一号・3ページ参照)「八正道」が示すとおり、煩悩を払って、正業(正しい行い)をすることが、基本であるからです。そうすることによって、人として高められた境地へと導かれ、さとりへと至るとお釈迦様はお説きになりました。

四月 「ともに仏の道を歩む
 皆様方は「同行(どうぎょう)二人」と言う言葉を聞いたことはございますか?これは「二人で同行する」と訳せますが、誰と一緒にどこに行くのかと言いますと、「弘法大師様と供に、仏の道をさとりの境地までともに歩んでくれますよ」と言う意味です。
 普通一般の人たちは、仏教の知識も深くなく、詳しくは解らないけれど、弘法大師様のお力やご本尊様の法力が自然と加わって、正しく導いてくれるのです。

 

明王寺本堂再建計画 4 

昨年十二月二十三日の冬至祭には多数の皆様方に奉賛金のご寄付を頂き誠にありがとうございました。当日は五十五名の方に、再三のご無理なお願いをお聞きとめ頂きまして、一三〇万円ほどをご奉賛頂きました。ここに謹んで御礼申し上げます。

ご奉賛のお願い(金額の強制はございません)

当寺院は檀家数が十軒余と微数でございます。また、檀家各戸と住職始め親族においても精一杯の奉賛を計画いたしましたが、目標金額には達し得ません。ここに信徒の皆様並びに明王寺とご縁の在ります皆様方のご協力を得なければ完成には至らないのが現状でございます。すでに完納して頂きました皆様には、度重なるお願いでございますが、ご猶予がございましたら、ご子息様ならびにご親戚の方々等にもお声掛けを頂き、謹んでご協力の程をお願い申し上げる次第でございます。
 また、ご奉賛戴きました方には、ご芳名とご功績を新築本堂に掲げ永く表させて頂く所存でございますので、よろしくお願い申し上げます。

                明王寺本堂建設委員一同
                     住職  標 隆光

建設内容

 木造入母屋造り 約三〇坪

 総工費     三五〇〇万円(奉賛金目標四千万円)

 工期      平成十三年三月〜同年十一月

 奉賛期間    平成十二年五月〜平成十四年十二月

 

奉納 祈願(かわら)のお申し込み受付中
 古来より寺院の屋根瓦や銅版の裏側に祈願文と祈願者名を書き入れて奉納すると、祈願成就と家徳繁栄が、かなうとされています。今回、明王寺本堂には三州瓦を使用します。この度の本堂新築に際して、屋根葺きに使用する瓦の裏面に、皆様方のおところ・氏名・お願い事を書き入れて、ご祈願成就を祈念し安置いたします。お申し込みにつきましては、ご家族の個人一人ずつで、連名でのお申し込みは、ご遠慮願います。つきましては、郵便局備付けの郵便振替用紙に、口座番号と加入者名を、通信欄に祈願者ご芳名並びに祈願事をご記入の上、ご注文ください。(封書でも受け付けます。
 奉納いただきました方は、ご芳名を本堂内に掲示し、永くご功績を称える所存でございます。

 受付期間 四月二十日まで
 金額一枚 二〇〇〇円
 口座番号 0260‐7‐42572
 加入者名 明王寺

 

寺通信

1月27日の大雪といい、雪の降る回数といい、寒さといい、とても例年とは違った、異常な冬となりました。寺の除雪も参道だけを通して、後は暖かくなるのを待つしかない状態です。三月上旬頃に本堂解体し、地鎮祭を彼岸開け頃に予定しています。気懸かりなのは、奉賛金の事だけです。最近、特に思うことは、独身の男女が非常に多く見受けられます。皆様方のお力を借りて、結婚できますようにご協力をお願い致します。

最近の結婚事情
 最近、若い人達は結婚に至までの道のりに、非常に厳しいものがあるという事を実感しました。結婚をしたくても出来ない男の人と女の人が増えていると言う事実です。性格も良い、生活力もある、外見も普通である。ただ長男であるということや女性の場合は婿取りであると言うことです。もうひとつは自立して生活できる女の人が増えたと言うことや結婚生活がわずらわしいと言った風潮が出てきていることです。 結婚を希望されている方にご紹介を頂ければ幸いです。

山梨一〇〇選投票結果

 昨年十一月にお願いいたしました、山日新聞の「山梨一〇〇選」に投票していただきありがとうございました。結果は残念ながら二四四位でしたが、皆様方のご協力に感謝申し上げ、今後とも「明王寺」を後世に残して行って頂けますようお願い申し上げます。

『明王寺だより』アンケート結果

 昨年の冬至祭案内に表題のアンケートを同封させていただき、多くの方のご意見を賜ることが出来ました。購読者の年齢層は、三〇代の女性が一番多く、続いて六〇才の男女、二〇代と四〇代の女性、七〇代の男女という順番でした。また、掲載内容については、回答者のほとんどの方が、全て読んでいただいていました。また、感想としては「仏教の知らなかったことが、理解できるようになった」「教育の問題や幸せに関する考え方が、今まで以上に具体的に理解できるようになった」など、心の糧になっていると言うご感想が多く寄せられました。今後に対してのご要望は特にありませんでしたが、生活の中の身近な部分をテーマに紙面構成を心掛けていきたいと考えています。(ご提出がまだの方は締め切ってございませんので、ご返送いただければ幸いです)

読者コーナー

 俳 句

四脚門 しかとくぐって 冬至祭       甲西町 井上 光子

護摩焚きの 煙()にあび 冬至祭     甲西町 井上 光子
  (よき事が一つでも多くありますよう願い乍ら…)

山里の カラス(ついば)む 木守柿      白根町 塩谷 道子

 川 柳

官僚の 汚職に光る 庶民の目        櫛形町 市川まさる

二〇〇〇年 小銭集めて 除夜の鐘       白根町 塩谷 道子

新世紀 心新たに 一句詠む         浦和市 保坂 恭子
                          中学一年 十三歳

 短 歌

伸々(のびのび)と 寝る幸せを 噛みしめる 噴火で 避難せし 人想う        櫛形町 市川まさる

亡き夫と 二人三脚 抜けきれず 手首の痛み ペンが握れず          白根町 塩谷 道子

冬至祭に 南瓜ほうとう いただくを 老父母(ふぼ)は 待ちをり 楽しみにして  甲西町 深沢 京子

山伏しの 衣装をつけし 上人の 吹く法螺貝(ほらがい)の 心にしみる       甲西町 深沢 京子

 

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