第13号 H13.6

巻頭
 

 「諸行無常

 3月22日から27日にかけて、本堂を解体しました。この本堂は江戸時代中期に建てられたとされ、ここに二百余年の長い役目を終えました。現在は基礎工事が終了し、6月17日の上棟式に向けて準備されています。

 仏教の教えには単語の意味から種々あって、そのどれもが日常の我々の生活を正してくれるものです。仏教には基礎となるお釈迦様の教えがあります。その代表的なものに三法印(さんぽういん)と言う物事の真理を説いたものがあります。わたくしがこの教えに接したのは、大学を卒業した後に修行した東京の「神田寺かんだでら)」においてでした。大学の授業や本山での研修では真言宗の専門の教えが中心だった為、この教えについては仏教概論の時に接した程度でした。この三法印には「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三つの四字熟語から成り立っています。

諸行無常を神田寺では『つくられたるもの、うつりゆく』と和訳しています。つまり「この世に存在する全てのもの【諸行】は一定(同じ状態)ではない【無常】」と言う法則を理解したうえで、生活しなさいと言う教えです。たとえば今新しく綺麗な本でもやがて時間が経つと色あせてきます。紙も酸化して破れやすくもなります。不用となっても消却・リサイクルされて形を変えて存在します。同様に人間も時間の経過と共に成長し、年を重ねていきます。やがて現世での生命を終え来世へ結びついていきます。

神田寺で学んだ教えを今日少しでも花開けたことは、当時、お世話になり、本年一月二十八日に他界された、故友松諦道先生のご供養になればと今回この題にいたしました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

心の教育 

   「道 う」

古来より日本人が(つちか)ってきた体と心の修養は○○道と呼ばれています。現在、スポーツと呼ばれているものの中でも日本で生まれたものには柔道・剣道・弓道・合気道などがあります。文化面においても華道・茶道・書道など精神的な鍛錬(たんれん)を含みながら達成されるまでの哲学が存在しています。
 日本における宗教にも「仏道」「神道」にも精神の熟成を柱として教えが備わっています。
 さて、この日本古来の精神を受け継ぐ教育が現在社会の中にどれほどあるでしょうか?特に教育の場から日本的なものが無くなってきています。これからは精神的に充実していて、その真髄を見極めることのできる行動と考え方が必要になってくると思います。

このように前述のスポーツ・文化活動においては人間の内証にまで至って心の充実を計ることを真髄としています。日本人である以上、その心を受け継いでいき、犯罪のない精神の安定を図った学習を目指して社会・学校・家庭での教育を充実させ、理性ある人間となる教育改革を進めていくことを望みます。

仏教の教え 5

   「大乗仏教と小乗仏教」
 

お釈迦様が亡くなられてから、仏教という形の体系が大きく二つに分かれました。思想面では「大乗仏教と小乗仏教」と言う分けかたをし、教学面では「密教と顕教」と言う分かれ方になります。

まず、大乗小乗の「乗」というのは「教え」のことであり「乗り物」にたとえられています。小乗では出家して厳しい修行を積んだものだけが(さと)りを得ることが出来、そうでない者は救われることが無いので、小さな乗り物で乗る人も限られてしまいます。

しかし、大乗仏教は釈迦の思想から「全ての人々」を救うのが本来の仏教の根本思想ではないかとして、誰でも乗れる大きな乗り物にたとえられています。釈迦が亡くなられてから約五百年の間は小乗仏教の時代が続きましたが、小乗の考え方がおかしいことに疑問を抱いてからは大乗仏教が主流となりました。【日本の仏教も大乗です】

また、お釈迦様の存在自体や敬い方も違いが見られます。

大乗仏教には、宇宙仏の存在が必須です。大乗仏教では、宇宙仏が宇宙(存在する全てのもの)を体系付け道理や真理を説いています。しかし、この宇宙仏は姿や形が無く、声や文字によって直接我々に教えを説くことが出来ないので、釈迦に姿を変えてこの世に出現し、教えを説いたと定義しています。それに代わって「小乗仏教」では覚りを開かれた後の三十五歳以上の釈迦しか崇拝していません。これは覚りを開く以前の釈迦はただの人間であるからと言う理由です。大乗仏教との違いは、生まれたときから宇宙仏に遣わされて出現したので尊い存在だとしている点です。  次回は「顕教と密教」を解説します。

仏教からきた言葉
 

自業(じごう)自得(じとく)

自分のしたことの(むく)は自分に返ってくると言う格言。つまり自分が取った言動の責任は、必ず自分が取らなくてはならないと言うことです。

仏教では「(ごう)」と言うのは行為のことであり善い行いは「善業」といい、悪い行いは「悪業」と分けられています。仏教では原因と結果で表されるものに「因果応報」「果報」なども因縁を表して現在・過去・未来の三世を正しく生きることをさとす教えがあります。ここで言う自業は悪いほうの行いを表していて、「悪いことをしてはいけません、おこなえばいずれ自分の身に降りかかってきますよ」と言う教えです。

 

邪魔(じゃま)

 物事の妨げになるものを指します。
仏教の修行を行う上で妨げるもの全てを「邪魔」と称しています。
 お釈迦様が菩提樹の下でさとりを開こうと座禅修行をしていたときに襲ってきたのは天魔といって心を乱す悪魔でした。
 



占い百科 1

   「占いの種類について」

 『占い』と聞くと皆様方は何をイメージされるでしょうか。テレビや新聞で毎朝お目にかかる「星座占い」や「誕生日占い」は一日の金運や健康運など運勢に関わる事柄を予測しています。この他にも性格や将来を占う「血液型占い」や「手相・人相」などや最近では「動物占い」や「風水」なども最近、若い人達の間ではやっています。また、夜の街角に机一つ出して座っている易者さんも居たりします。太古の昔から人間は、自然の脅威や天候による作柄など、将来に対する不安をいつも持ち続けていました。年初めに今年一年の吉凶を占う神事は、処置を早く講ずる事が出来るために、安心感が得られました。四千年も前の中国では亀の甲羅や動物の骨にひびを入らせて占う「亀甲占い」が既に起こり、日本でも豊作や豊漁を願って「綱引き」や「相撲」など多くが年占いとして今も残っています。

 一言に占いと言ってもあまりにも多くのものがあります。簡単にできる「トランプ占い」から時間を掛けて勉強しないと出来ない「易学や四柱推命学・西洋占星術」など幅広くあります。

 現在良く耳にする占いには、大別して二通りに分けられます。一つは瞬間的に出た結果によって判断するものと、二つ目は過去の経験やデータに照らし合わせ判断する方法です。前者の占いとしては、トランプやタロットを使った「カード占い」や「おみくじ・易」など続けて二回占ってはいけないものがそれです。後者の占いは結構多く「夢占い・筆跡占い・血液型占い・人相・手相・家相・地相・九星気学・姓名判断・四柱推命学・西洋占星術」などがあります。

 この中で、家相・手相・人相・印相など『相』と付くものがあります。この相とは、この場合の意味としては「みる(良く見る・うらなう)」または「かたち(顔つき・すがた)」と言う意味があります。これらの占いは表面に出ている現象や姿形を、過去のデータに当てはめ分析して一つの法則を見出したものです。つまり偶発的に起こったものではなく、統計を取り、その中で確率の高い項目について結果を表した統計学なのです。
 また、生まれ年から割り出した占いには、東洋占星術を体系化した四柱推命学、高島易などで知られる九星気学、十二の星座からなる「西洋占星術」などがあります。これらは幾つかのブロックに分けてその中に入る人達を相対して占っています。宇宙エネルギーやバイオリズム、方位術や五行の性質を取り込んだ物が複雑に合わさりながら独自の占いを形成しています。
 このように『占い』とは「将来を予測する」ことが必ず含まれています。しかし予測された結果を知ることだけでは片手落ちです。その後に適切な処置を執ることが、被害を最小限に押さえることが出来たり、または、チャンスをつかんで大きく飛躍することが出来たりするわけです。厄年に「厄除け祈願」をしますが、これも九星気学の理論に基づいて行われる行事です。九星では運気の変化は毎年変わってきます。明王寺では運気の強弱を元に開運祈願を行っています。(次号に続く)

 

●法語カレンダー解説
 

六月

真言宗智山派の開祖である『興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん)上人』は「ただ願わくは、一生をして空(むな)しく過ごさざれ」と言われました。与えられた一生の中で無駄な生き方をせずに、仏の導かれた教えに則って正しく生きようと努力することが重要です。ともするとけようとする心が人間を駄目にしてしまいます。自分自身の心の統制が必要になります。それには目標を掲げてそれに向かって精一杯努力すれば充実した毎日を送ることが出来ます。

七月

 皆様方は「観音経」というお経はご存知でしょうか?このお経は「法華経」の中の「普門品(ふもんぼん)」の二十五番目のお経で、観音様(観世音菩薩)の偉大なる法力について説かれた経典です。「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」とは観音様の持っておられる力を信じて、一心に念じれば観音様は直ちにその声を感じ取って、私たちの苦しみを取り払い、また救いの手を差し伸べて願いをかなえてくれるありがたい仏様なのです。

八月 

 「()い行いは善い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生む」これは物事の真理です。悪いことを重ねてしまうと元に戻れなくなってしまいます。これは悪の根が心の中に、はびこってしまって、元々と有った清らかな心を(おお)い尽くしてしまっているからです。因果因縁の法則をもっても善い行いを続けることへの努力を(おこた)ってはいけないと思います。特に幼い内からの命の大切さや人を敬い愛することを心の内に植え付けていくことが、やがて平和な世の中の礎(いしずえ)となることでしょう。

九月 

 真実・今あるものを正しく見極める心を「正見(しょうけん)」と言います。これはお釈迦様が説かれた、八正道の中にある教えです。このことは十一号にて解説しましたが、人間の根底を司る「欲」によって支配され、そこからなかなか抜け出すことができないのが、現在社会の悪循環たる所以(ゆえん)です。全ての欲を完全に捨て去ることは出来ないので、まずは自己中心的な(ひと)りよがりの行動を(つつし)み、相手に対する思いやりの中に、本来あるべき素直な心を呼び起こすことが重要です。その事によって苦しみの呪縛(じゅばく)から解き放たれて平和な生活にいたることが出来るのです。

明王寺本堂再建計画 5 

三月下旬に旧本堂の解体が行われ、埋蔵文化財の試掘調査が行われた後、地鎮祭を檀家および信徒代表と親族によって行われました。現在、基礎工事が終了し、屋根の仮組みが長沼工業所において進行中です。今後の日程については、六月十二日柱立て、六月十七日(日)上棟式となりました。いよいよ着工となり、皆様のご支援が形となって姿を現します。唯一、心配なのが建設資金の不足です。現在のところおよそ一千万円が不足している状況です。資金寄付を頂けるところも限られている現状をお汲み取りの上、あつかましいお願いではございますが、再度ご協力をいただけましたら幸いでございます。

ご奉賛のお願い(金額の強制はございません)

当寺院は檀家数が十軒余と微数でございます。また、檀家各戸と住職始め親族においても精一杯の奉賛を計画いたしましたが、目標金額には達し得ません。ここに信徒の皆様並びに明王寺とご縁の在ります皆様方のご協力を得なければ完成には至らないのが現状でございます。

すでに完納して頂きました皆様には、度重なるお願いでございますが、ご猶予がございましたら、ご子息様ならびにご親戚の方々等にもお声掛けを頂き、謹んでご協力の程をお願い申し上げる次第でございます。

 また、ご奉賛戴きました方には、ご芳名とご功績を新築本堂にかかげ永く表させて頂く所存でございますので、よろしくお願い申し上げます。

 

                明王寺本堂建設委員一同
             住職  標 隆光
 

 

 

 

建設内容 木造千鳥波風入母屋造り 約30坪
 総工費     3500万円(奉賛金目標4000万円)
 工期      平成13年3月〜同年11月
 奉賛期間    平成12年5月〜平成14年12月

 ご奉賛いただけます方は、郵便局備付けの郵便振替用紙に、口座番号と加入者名を、通信欄に祈願者ご芳名並びに祈願事をご記入の上、お振込みいただければ幸です。

 


 

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