第11号 H12.10

 

巻頭
  「感 謝 の 心」
            住職  標  隆光 

 九月に行われたシドニーオリンピックは、日本勢の活躍もあって大いに盛り上がった大会でした。時差も二時間ほどであった為、生放送で感動がリアルタイムに伝わってきたことも、スポーツの楽しさを増してくれたように思われます。
 まず女子柔道の「ヤワラちゃん」こと田村亮子選手の金メダルは、オリンピック三度目にしてやっと手にした感動が涙を誘いました。決勝戦で勝った瞬間の喜びと安堵の気持ちは、込み上げる涙の表情からも良く伝わってきました。
 対照的に男子無差別級の篠原選手はフランスのドイエ選手に誤審とも言える判定で残念ながら世界選手権に続いて銀メダルとなり、喜びの表情はありませんでした。柔道の本来の形は一本を取るための競技であって、効果や有効などの判定は一本を取りに行ったときに技の不完全な状態をランクにしたもので、始めから効果や有効を狙いに行く競技ではなかったはずです。東京オリンピック以降、柔道が次第にレスリング化してしまったことに、ルールの見直しもあって然りと感じました。

少し残念だったのは、山梨県勢の萩原智子選手(200b背泳四位)とサッカーの中田英寿選手です。
 萩原選手のコーチであった神田忠彦氏は、私とは以前の会社の同期で、背泳では国体にも出たことがあり、異色の人物でした。退社後スイミングスクールで選手の育成に当たっていました。今回、萩原選手のオリンピック出場の舞台では神田氏は、公認コーチとして認められていなかったので、直接に技術的、また精神的な指導ができなかったそうです。
 コーチや監督の重要性は、女子マラソンの高橋尚子選手と小出監督の二人三脚のトレーニングが金メダルを取ることが出来た大きな要因としてあげられています。本大会で選手の実力が発揮できた多くの要因には、裏で支える多くの人達の努力があったことも忘れてはいけない部分でした。また選手自身も全てが自分の実力だけで勝てたような言葉を口にした選手は、一人も居ませんでした。プレッシャーの中で、多くの人達の激励や応援をバネに、頑張って来れたのだと『感謝と謙虚』を伴うインタビューを何度も聞きました。私達も「感動を有難う」と感謝の気持ちを送り健闘を称えましょう。


心の教育 11

 「思いやりの心を育てる」

 今年の夏休みは小・中学生の女子生徒が数人、自由研究で明王寺の歴史や文化財について調べにお越しになりまた。また五月には増穂小学校の三年生、約130名が、校外学習の一環として当寺院を訪れました。話の内容は小学三年生に理解できるように心掛けました。一つには1200年以上も寺の歴史が続いていること、二つには国の宝物(文化財)をこれから先の時代に大切に残していかなければならないことを話しました。この時の感想文を5人ほどの生徒から学校の先生を通して戴きました。一応に千年以上も前の宝物が増穂町にあるなんて知らなかった。または驚いた。と書かれていました。
 教育課程が徐々に変化して学習の中に感情や人との拘わりを取り込むことが多くなってきています。人や物を大事にすることの大切さを生涯忘れないよう、繰り返し指導をしていってもらいたいと思います。最近では、16才から20才前後の若者がバイクや車のエンジン音を大きく改良して、我が物顔に走り回っていますが、道路沿いに生活している人は非常に迷惑をしています。この音を聞いて相手がどういう気持ちになるか、またはわざと大きく空ブカシなどをして、周りが嫌な思いをしているのを楽しんでいる姿も見うけられます。騒音に対する取り締まりの法律を是非とも確立してもらいたいと思います。


健康長寿の実践 6
    
    
「体と心の健康」

 張り合いを持って生活していく上には何かしらの目標が無いと、ただ漠然とした生活になってしまいます。年を重ねるごとに多くを望まなくなると思われますが、その分、自分の健康には余計気が回ります。ここでいう目標とは、『達成する』と言うよりも『追い求める』と考えた方が良いかもしれません。
 まず第一は、『体の健康』です。重い病気(寝たきり)では無く、ある程度体が動く状態(動かせる)を維持することに心掛けることです。筋肉は使わないと次第に弱ってしまいます。殊に足の筋肉は体を動かす上でも重要です。ウォーキングやルームランナーも結構ですが、日常簡単に出来るのは、大きめの椅子に浅く座って、偉くなった時のように背もたれに凭れ掛かります。この姿勢で足を交互に上げます。足を伸ばして行うのが困難であれば、曲げて行っても結構です。試してみて下さい。
 二番目は『心の健康』です。弱気にならず「何があっても大丈夫」と考えられる心構えが長生き出来る秘訣です。プラス発想で物事を割りきりながら、クヨクヨしないようにします。それには、心のよりどころを持つことが一番だと思います。信仰とは弱い『人の心』を強くする力があります。


仏教の教え 2

   
「仏教の根本教理U 八正道(はっしょうどう)

 前号ではお釈迦様が最初に説法を行った仏教の根本教理である「四諦(したい)・八正道・十二因縁」の内、「四諦」について解説しましたが、今回は「八正道」について解説します。
 漢字の意味からも判るとおり、「八つの正しい道」であることはお判りになるところだと思いますが、ではその八つの中身はと申しますと、
正 見(しょうけん)⇒が我の意識を離れ、正しく物事を見ること
正思惟(しょうしゆい)⇒正しく物事の道理を考えること
正語(しょうご)⇒真実のある正しい言葉を語ること
正 業(しょうごう)⇒正しい行為をし、間違った行いをしないこと
正 命(しょうみょう)⇒決まりを守って清浄な生活をすること
正 精 進(しょうしょうじん)⇒正しく目的に向かって努力すること
正 念(しょうねん)⇒邪念を離れて正しい道を思念すること
正 定(しょうじょう)⇒精神を集中させて心を安定させること
以上の八つを「八正道」と言います。これを実践することによって、煩悩を無くしその結果、苦悩を克服できると説いています。(次回は十二因縁について解説します)


仏教Q&A

 「お仏壇を購入する際、決まり事がありますか」


 お仏壇を購入する時期はお彼岸やお盆の前、または法事の前や家を新築した時などに合わせて、購入するのが一般的です。
 種類としては、最近の傾向として台付唐木仏壇を選ばれる方が多く、次ぎに地袋付上置仏壇の順です。金仏壇や関東仏壇は少なくなり、新たに洋間などにも合う家具調仏壇も販売されるようになってきました。
 次ぎに大きさと置く場所ですが、まず家のどこに置くのかによって、大きさも異なってきます。仏間として仏壇を安置するスペースが十分にあるのであれば、高さや間口などは気にせずに購入できますが、最近では和室の数も減る傾向にあり、仏壇を安置する場所にも限りが出てきています。基本的には横幅の寸法が一番の問題になります。安置する場所は鬼門を避け、南向きか東向きあるいは西向きで、明るく落ち着いた気持ちになれるところが最適です。その他、家相などで細かな決まり事もありますが、まずはご先祖様をご供養し、日々生かされている事への感謝をご報告することが大切ではないかと感じます。


仏教からきた言葉


食堂


 仏教では「しょくどう」とは言わず「じきどう」と読みます。寺院の中で僧たちが食事をするためのお堂のことです。
 一般に現在では、料理を出すお店のことや家の中では、食事をする部屋(ダイニングルーム)を指して使います。
 寺院の食堂は修行の場所でもあって、食事作法は厳しく、出されたものはありがたく思う心を表して「いただきます」をお唱えします。食事の最中は無駄話や物音を立てないことなど決まり事があります。

普請(ふしん)

 建築や土木工事のときに使い「家の普請」とか「道普請」として使われます。この漢字の意味は「普(あまね)く請(こ)う」と訳せますから、多くの人に呼びかけて労働力を集めることで「共同作業」を意味しています。
 寺の建築や修復などに大勢の力が必要なとき、僧や檀信徒に協力を得て作業をしたところから起こっています。やがて民衆を動員して城や道路・橋などを作るときにも使われるようになり、現在では、建築用語として使われています。

 

仏様の信仰 1

「不動尊信仰(不動明王)」 


 仏教の歴史の中で、さまざまな仏様が時代背景の中で信仰され、絶大なる人気を呼んで流行した時がありました。ひとつの背景には、混迷の世の中を救済する救世主として、さまざまな願いを受け入れ、実現に導く仏様が選ばれました。

 今回は密教の真髄ともいうべき不動明王を中心とした『不動尊信仰』についてご説明いたします。
 皆様方ご存知のように、明王寺の御本尊様は「大聖(だいしょう)不動明王」であり、それを援護する四大明王からなっています。密教系の寺院の多くは、ご本尊様以外にもお不動様をお(まつ)りし、護摩祈祷を修しております。また、甲斐の国においては武田信玄の不動尊信仰にも影響されて、禅宗系(元は密教寺院の場合もある)の寺院においても不動堂にお不動様を安置しておられます。現在においても、成田山新勝寺や高幡山金剛寺(高幡不動尊)など大寺院が信仰を集めています。山梨県では塩山市放光寺の「天弓愛染明王」と「不動明王立像」や中富町大聖寺の「大聖不動明王坐像」が国の重要文化財に指定されています。

 この不動尊(不動明王)は大きな力を持って我々の前にお姿を現されておりますが、その故は密教の本尊である大日如来の化身としてその持念力を発揮されているからです。(詳しくは第五号五頁参照)つまり、お不動様に祈念するという事は、密教の様々の仏様を統括している大日如来に願いを通じる事が出来る一体不二の関係なのです。この事はちょうど「大魔神」という映画と似ています。ある村の守り神であった傭兵型の埴輪(はにわ)が、あるとき怒りに触れて、やさしそうな埴輪の顔が、仁王像のような姿に変身して悪者を退治するというストーリーでした。プロ野球の横浜ベイスターズ(現在米国・マリナーズ所属)にいた抑えのピッチャー「大魔神佐々木」はここから名付けられたニックネームです。同じように、やさしいお姿の大日如来から、敵対する者を降服(こうぶく)させる力強さや形相のお不動様に姿を変えたのです。

 そのお姿は、仏の道の志がゆるぎないものである事を表す大磐石(だいばんじゃく)という岩に座しあるいは立って、煩悩(ぼんのう)を焼き清める知恵の炎を表す火焔(かえん)に囲まれた中にいます。顔は敵を威嚇(いかく)する憤怒(ふんぬ)相、右手には大慧刀(だいえとう)と呼ばれる利剣(りけん)を持ち「むさぼり・いかり・おろかさ」の迷いを断ち切り、左手には正しい道(仏道)に導くための羂索(けんさく)を持っています。

 不動尊信仰の人気の秘訣は、悪を()らしめ弱きを助け、道に(たが)うことを許さない厳しい姿と、現世(げんせ)利益(りやく)の功徳の多さに(すが)る人達が多いからだと思います。


 明王寺本堂再建計画 3

 去る9月19日には建築業者との仮契約も済み、また建設仕様も決まり、大きく前進をしたところでございます。また、奉賛金のご納入も引続き多くの皆様から戴き有り難うございました。今後に起きましては、12月23日の冬至祭にも奉賛金の受付を設けますので、ご無理を申し上げ申し訳ございませんが、今後ともなお一層のご協力をお願い申し上げます。

ご奉賛のお願い(金額の強制はございません)

 当寺院は檀家数が十件余と微数でございます。また、檀家各戸と住職始め親族においても精一杯の奉賛を計画いたしましたが、目標金額には達し得ません。ここに信徒の皆様並びに明王寺とご縁の在ります皆様方のご協力を得なければ完成には至らないのが現状でございます。このような状況をお含み置きの上、奉賛期間中は絶大なるご支援を頂けますようお願い申し上げる次第でございます。
 また、ご奉賛戴きました方には、ご芳名とご功績を新築本堂にかか掲げ永く表させて頂きます。
                明王寺本堂建設委員一同
                     住職  標 隆光

建設内容
 木造千鳥波風入母屋造り 約30坪
 総工費     3500万円
 工期      平成13年3月〜同年11月
 奉賛期間    平成12年5月〜平成14年12月
 建設業者     甲西町荊沢 拠キ沼工業所


冬至祭ご案内

 今年も冬至祭を例年どおり12月23日に開催致します。詳しいご案内は12月上旬に郵送致しますのでお待ち下さい。現在「祈願のぼり旗」を立てておられる方は自動的に新しいものと交換致します。のぼり旗の内容など変更がある方、新規ご希望の方は、お早めにご連絡下さい。

 

明王寺と舂米区氏神

 熊野神社との関係

 皆様方は明王寺に隣接して熊野神社があるのを不思議に思われたことはございませんか。現在の熊野神社本殿は江戸末期に建てられた、明王寺の不動堂を使用しています。この経緯について記してみます。

 舂米区の氏神である、熊野神社は区のほぼ中央に位置し、明王寺の境内に隣接しています。
 長沢新町から小林を抜けて櫛形山に向かって西に進む道はかつて明王寺の参道であったと伝えられています。小林境に赤い鳥居と境内正面には御影石の鳥居が配されています。境内地は二段で下段左に彼岸桜や杉・檜の巨木が並び、右は明王寺の勅使門(町文化財)と本堂に続いています。中央の石畳の参道に続く踏み幅の狭い石段を十段ほど登ると、桜や杉の木に囲まれた社殿を目の前にします。神域を護るとされる一対の御影石で造られた狛犬は口の形を阿吽に表現し威嚇しています。社殿(文久二年・一八六二年建立、その当時は明王寺不動堂)は三間半四方入母屋造り向拝・回廊付きで、柱は檜の丸柱(寺院建築様式)です。社殿内の厨子にご神体を祀っています。(明治維新頃の神仏分離政策以前は不動明王が安置されていました)神殿中央には十一月三日の祭典に使われる御輿が納められています。

 この御輿は小林境にある祭礼場(御輿塚・角力場等)を渡御し、川久保山中の奥宮(元の本宮・江戸時代以前は熊野権現堂があった所)を経由し舂米区を一周します。昔は小林の八幡社の御輿とぶつかり喧嘩御輿とも呼ばれていました。又、十五年ほど前までは祭典の夜に花火を打上げるのが特色でした。
 この他、大晦日から元旦に掛けて初詣客には、有志によって甘酒や福餅が振る舞われ、元旦の新年互礼会には区民の功労者表彰や成人者を御祝いしています。

 この神社の草創は大変古く、およそ千二百年前、明王寺の開山である儀丹行圓上人が平林に巡教の途中、熊野三所権現と名乗る大きな光を放つ玉石に出会い「祀ることあればこの地を守護したる」と言い消え去りました。儀丹上人はその場所に熊野権現堂を建立し熊野権現の三神を祀ったのが始まりとされています。
                      この熊野権現堂の名前を執って平林に続く山を権現堂山と呼び、ここから平林・奈良田に抜ける道と共に、修験道の山岳修行の入口にも当たり、権現堂遺跡からは泥塔が発見され古くから密教儀式が行われたことが窺えます。
 また、権現堂は南鷹尾の中腹にあることから中尾権現とも呼ばれていて、このことは甲斐国誌神社部にも明記されています。また、文久年間(一八六〇年頃)に社地が崩壊し、社殿が破損した為、元々明王寺が別当寺・神護寺(神を護る寺)であった為、ご神体を不動明王が祀ってあった不動堂に移して、神仏混淆(習合)の形で祀られました。

 明治維新前後に政府から神仏分離政策が執られ明治五年、不動堂にご神体を安置し熊野神社として舂米区の村社となり、明王寺は不動堂から不動明王を本堂に移して本尊として奉りました。この時廃仏毀釈などの諍いもなく、舂米区は明王寺から境内地と神殿を寄贈して頂いた見返りに永代に亘って寺を守護していくことを快く約束したと言い伝えられています。

 

寺通信

 近頃では朝晩めっきり冷え込みが厳しくなってきました。9月末までは燃えるような残暑に見まわれていましたが、10月に入ると一気に秋めいてきました。太陽が出ている日中はすがすがしい日よりの中を気持ち良く過ごせますが、曇りや雨の日はちょっと厚めの物でも着ないと寒くて我慢できない日もあります。今回の衣替えは季節に即応していました。これから次第に本格的な冬へと寒さを増していくことでしょう。
 寺の作務もこの『明王寺だより』の発送が終わると、12月23日に行われる冬至祭に向けて、お札作りや案内状の印刷と発送準備や調達品の注文手配など時間に追われながらの日々が続きます。冬至祭に関する詳しいご案内は、12月10日頃に発送致しますので、今しばらくお待ち下さい。
 今回から紙面数を6ページから8ページに増やしました。またデザインも少し変更したり、広告欄も取ったりして趣もやや変化が出ました。また、内容面では「仏様の信仰」というコーナーを新たに設けました。今回はお不動様でしたが、今後の号では別な仏様を紹介していきます。
 最近、若い人達は結婚に至るまでの道のりに非常に厳しいものがあるという事を実感しました。結婚をしたくても出来ない男の人と女の人が増えていると言う事実です。性格も良い、生活力もある、外見も普通である。ただ長男であるということや女性の場合は婿取りであると言うことです。もうひとつは自立して生活できる女の人が増えたと言うことや結婚生活がわずらわしいと言った風潮が出てきていることです。


 

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