第4号 H11.1

巻頭
 「目 標 を 持 つ」

                住職  標  隆光

 新 年 新 心

 昔から「一年の計は元旦に有り」と言われています。そこには新しい年を迎えて心機一転、志を新たにして目標を決め誓いを立てて日々精進努力していこうとするのはご存知の事と思います。また生活していく上で区切りという事は非常に重要です。ここで言う元旦とは最初の日であり、一は最初の数字で今まで数えた数字をご破算にして初めから始める意味を持っています。
 仏教では正月元旦の行事を修正会と言って、この一年の全ての無事を祈願しています。また、初詣の参拝者の願いを受ける意味も持っています。初詣には自分の目標を神仏に誓い無事に成就できる事を祈ると共に、その人の気持ちを新たにして幸せを祈り、またご利益を得ることで生活の安定や自己の望みを叶えることの誓いを立てる意味もあります。
 同じように人生の目標を持つことも重要です。日頃の生活に追われて自分を見失ったり、今やらなければならないことが忘れられてしまったりしています。その中で人生には何度か節目があり、その節目は案外と厄年の頃と重なってきます。この先の人生をいかにして生きるのか将来設計をしっかりさせておかなければ意外な方向に進んで行ってしまうものです。どんな災難(障害)が降り注いでも気持ちさえしっかりと持っていれば乗り切って行けるものだと思います。
 自分の目標を持つ事によって、やる気や気力が生まれその結果が家族の幸せを導き、生涯に亘って悔いを残さない事になるのです。年頭に当たって皆様方がより充実した一年でありますようご助法旁々ご祈念申し上げます。
(本年より一年の計を書き記して頂くために「発願録」を用意いたしました。今年一年の目標とする事柄とお名前を記して頂いています。ご記帳をご希望の方はご来寺下さい。)


心の教育 4

  「環境と人間形成」

 現在の子供達を含め我々が生活している環境は、生産と消費の経済中心(お金が移動する)の社会であります。
 このような環境の中で今の子供達が修学する環境は、ほとんど全て自分の意思が尊重されない構造となっていると思います。学校や地域の枠の中には、常に誘惑や危険と隣り合わせの状態が多くあります。それは「朱に交われば赤くなる」の格言と同じで朱(悪)が多いところには危険も一杯と言うことです。
 先日、あるテレビ放送で中学を卒業して高校に行かず料亭に住み込みで就職した女の子の事が放送されていました。その内容は中学時代は悪友四人組で窃盗・恐喝等警察のお世話になること二〇回以上であったとのこと。しかし、料亭に就職して厳しい躾と怖い店長や先輩から働くことの厳しさを躰に叩き込まれて、まるで別人のように変わってしまった経緯を見て、「人間は環境が全てだな」と痛感しました。
 真言宗では宇宙万物のものは全て「大日如来」(5頁下段参照)から生まれていると説きます。ですから仏様から生まれたのであるからどんなものにも仏性が備わっている訳です。特に人間は生まれた時は何の穢れもなく、純真・清浄そのものです。それが成長の段階で我欲や悪業が増えてきて、清廉純真さが無くなってしまうのです。今回のテレビ放送を見て、人間性と言うものは環境に左右され易いものであり、一時で人を判断せず最後まで人を見捨てず、救うことの大切さを改めて考えさせられました。


幸福を考える 4

  「災 い と 因 果 関 係」

 幸せの反対は不幸と言うことになりますが、その認識度は人それぞれと言って良いと思います。
 それでも不幸の基準の方がはっきりしているかも知れません。他の人やその家庭と比較して自分の方が下回っているか、そうでないか判断できます。しかし、一つのことだけを比較しても駄目だと思うのです。全てに渡って相対的に判断する必要があります。
 現在の日本は物欲に満たされてほしい物の殆どは手に入る時代です。怖いのはそれが当たり前となり、何気なく流されて自分を見失ってしまうことです。禅宗系の寺院では無と言うことを強調して、欲を捨てる為の修行(座禅等)を実践することによって悟りが開けると説いています。
 私達の身の回りで災いとはどうして起こるのでしょうか。第二号で因果という仏教の言葉をご説明しましたが、結果があることには必ず原因があるわけです。問題が起こったことは必ず過去に行った行動が尾を引いているのです。自分の過ちを隠しておいて人のせい(責任)にすることは断じていけないことだと思います。災いによって被った結果を不幸というならばその災いを引き起こした原因を突き止め、悪かった所を改めればよいことです。


 冬至祭護摩法要開催される

 例年通り12月23日(天皇誕生日)に開催されました。
 当日は幸い天候にも恵まれ穏やかな日和となりました。
今年は午前9時10分頃にYBSラジオの中継があり、檀家の奥さん方など10名で昼食に召し上がっていただく「かぼちゃほうとう」の準備の様子が放送されました。
 今年は11時頃からほうとうを召し上がっていただけるようにしました関係上、200食程を用意しました。特にご都合でお早めにお帰りになる方にも召し上がっていただくことが出来、多くの方に喜んでいただけました。
 続いて11時15分から住職による仏教法話が30分程ありました。その内容をご紹介いたします。
「まず、今年一年を振り返り、長野オリンピック開催によるスケートの清水宏保選手やジャンプ競技の中から生まれた感動的なシーンやサッカーワールドカップ出場などの明るい話題もありましたが、なんと言っても和歌山のカレー毒物事件から始まった毒物を混入する犯罪が全国あちらこちらで発生しました。特に和歌山の場合は保険金詐欺とも絡んでとても悪質且つ、金目当ての愚劣な犯行でした。その中バブルの後遺症とも言うべき大不況は戦後最大となり、企業倒産やリストラによる失業者の数は増大する一途でした。また天候では1月15日に降った大雪で果樹や物置の倒壊の被害があり、夏以降はハッキリしなかった梅雨明け、エルニーニョ現象による異常現象の連続などによる野菜の高値と自然界も散々でした。
 以上のような不景気な話を吹き飛ばす意味で、今回は縁起物で知られる『七福神』の起こりとその功徳についてお話しします。その七神は恵比寿は日本の神、大黒天、毘沙門天、弁財天はインドの神、布袋、寿老人、福禄寿は中国の神様です。
 元もと七福神の思想は『仁王経』巻下 受持品に「七難即滅 七福即生」と言う一文が出てきますがこの七福とは寿命(寿老人)、有福(大黒天)、人望(福禄寿)、清廉(恵比寿)、愛敬(弁財天)、威光(毘沙門天)、大量(布袋)と当てはめられます。この考えは江戸時代初期に徳川幕府の相談役だった慈眼大師天海と言う密教僧が教えを説いたことに起源があると言われています。
 恵比寿は鯛と釣り竿を持った漁業の神様や商売繁盛の神様で、純粋な日本の神様です。
 大黒天は右手に打ち出の小槌を持ち左肩には大きな袋を背負い米俵の上に立っている農業の神様で富をもたらします。 毘沙門天は身を甲冑で固め鉾を持った四天王の一人で仏法の守護をして仏法の功徳(施行)を行ったことから施財天とも呼ばれています。
 弁財天は琵琶をかかえた唯一の女性神で水の神とされ、財福や音楽の徳があります。
 布袋は中国唐代の禅僧で大きなおなかを出して袋を背負って円満な笑顔をたたえて人徳や知恵の福をもたらします。
 寿老人は長い頭と白髭の人相で長寿の神様です。
 福禄寿は経巻を結びつけた杖を携え子孫繁栄の神様です。 以上が七福神ですが寿老人と福禄寿は同体異名としてその代わりに吉祥天をおくこともあります。以上が七福神の功徳ですが皆様方のお宅にも置物として大黒様や布袋様または七福神が乗った宝船がお有りと想いますが御利益をふまえてお参りされればよろしいかと想います。」以上法話抜粋
 法話の後、「南無大師遍照金剛」の御真言を白根町の中沢勉一様の太鼓に合わせてお唱えした後、正午には『かぼちゃほうとう』を召し上がっていただきました。お味の感想は皆さん「おいしかった」と御好評を得ました。食事は常に感謝の心をもっていただく事が大切だと思います。
 午後1時からは住職の挨拶と信徒総代の韮崎市・久保田文男様より『壇信徒だより』発行に関する状況と執筆及び購読料の助成協力のご進言がありました。その内容は「明王寺と檀信徒をを結ぶパイプとして重要な役割を果たしていることをご理解いただき明王寺の護持と信徒の幸福のためにも多大なるご協力を是非共よろしくお願いします。」(抜粋)
 続いてお不動様の御真言「慈救の呪」を甲府市・興蔵寺標 照ご住職の発音(ほっとん)に合わせて皆様方と共にお唱えした後、2時頃からお茶のご接待がありカボチャの煮物を召し上がっていただきました。
 2時半から護摩修法に入り全員の方たちに護摩壇の回りを行堂しながら各々護摩の煙を扇ぎながら体の悪い部分をさすり御祈願して頂きました。
 今回は穏やかな天候にも恵まれ300余名の方にご参拝頂き、また祈願者は1000名に上り、誠に有り難うございました。


御真言を覚え、お唱えしましょう(願い事が叶います。)

不動明王御真言(慈救之呪)(災難除け)
 のうまく さーまんだー ばーざらだん
 せんだー まーかろしゃーだー そわたや
 うんたらたー かんまん

薬師如来御真言(病気平癒)
 おんころころ せんだり まとうぎ そわか

光明真言(罪業消滅・仏法崇敬)
 おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらはりたやうん


仏教から来た言葉

布施
 現在ではお坊さんに渡す、お金を表す言葉となっていますが、本来の意味は仏道修行者が実践する六つの項目(修行)の一つでした。そのことを六波羅蜜と言います。この六波羅蜜とは@布施A持戒B忍辱C精進D禅定E智慧(般若)の六つの行です。第一番に上げられた布施行は純粋な物質的、精神的な恵みのことで、僧の側から仏法を説き、恐れや不安を人々から取り除く行を言い、精神面での利他行(自分を犠牲にしても他人の利益や救いに努める事)を指したものです。
 現在のお布施を間違って理解されている方が多いのは、本来の意味を知らないところにあると想います。現在では『お経料』と言う意味合いで料金を支払う様に考えられていますが、それは間違いで、功徳を頂いたお返しであり、自発的な貢献(献上)と言うことですから『料金』と考えることは間違っていることになります。

精進
 前項の六波羅蜜の中の四番目に当たる精進行は仏教修行の大事な行の一つですが、現在でもよく知られていますが、それは肉食を絶つというように理解されています。肉食がいけないとされる理由は、『不殺生』戒の生類に対する慈悲(哀れみや慈しみの心)に基づくものです。もう一つは「精進努力」と言う意味で我欲を捨てて一途に頑張ることの意味もあります。仏教では六波羅蜜の他、八正道の中にも仏の悟りを得るための大事な修行の一つに上げられています。


真言密教とは

大日如来

 大日如来様と言う仏様は、ある面余り有名ではないかも知れませんが、密教の世界では宇宙創造の中心的仏様でいらっしゃいます。曼陀羅で最も知られたものに金剛界と胎蔵界と二つの曼陀羅があり、その中にはそれぞれに別のお姿の大日如来様が描かれています。その理由は曼陀羅を描く元になった教典の違いがあります。金剛界曼陀羅に描かれた大日如来は智慧を表し智拳印という印(指の組み合わせ)を結んでいます。胎蔵界の大日如来は悟りの境地を表し法界定印を結んでいます。(写真参照)
 大日如来という仏様は絶対の真理を表しており、また全ての仏の根源とされています。従っていろいろな形と功徳を持ったそれぞれの仏は全て大日如来の化身とされているのです。
この考えからこの世に存在するものは全て大日如来より生じているもので、その仏性を持って存在している故に、消滅によってもその本性は大日如来の元に戻るのだとされています。


読者コーナー

 俳 句

短日の 護摩法要に 集いけり     甲西町 井上 光子

ほうとうの 温きにふれる 冬至祭   甲西町 井上 光子

明王寺 老松と南瓜が よく似合う   甲西町 秋山津智義

初詣 今年の願い 長かりき       櫛形町 斉藤 秋子

厄抜けて 望み多けき 年始め          標  隆光


 短 歌

良く詠むと励ましくるる人ありて 意欲湧きくる星空の夜
                   櫛形町 市川まさる

檀信徒の皆様からの投稿(俳句・川柳・短歌・ご意見・ご感想等)をお待ちしています。次回の締め切りは三月末までです、よろしくお願い致します。


行事案内

写経会 般若心経初心者向け 参加費 千円 納経料含
 月の第三日曜日 午後一時半より三時頃まで電話にてご予約下さい。毛筆が苦手な方も硬筆の筆ペンで行えます。なぞり式なので文字の練習としてご参加いただいても結構です。
 全てこちらで用意しますが、書き慣れた小筆がある方はお持ち下さい。
 八月と十二月を除いて他の月の第三日曜日に開催します。一月は十七日です。途中から参加されても結構です。
二月と三月は二十一日に開催します。

 また皆様方のご希望の行事もありましたら、ご提言下さい。
例 座禅会・法話会・霊場(札所)参りなど


 

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