第15号   平成14年8月発行
 


巻頭
「感 謝 の 心」
                                住職  標  隆光

 残暑お見舞い申し上げます

 夏は暑いものとわかっていても、ついつい「あぁ暑い」と口から出てしまいます。また、冷房という涼しい環境が作れるから暑さを我慢できなくなってしまっているのかもしれません。想えば小さい頃はこんなに暑く感じなかったように思います。暑さに対する根性がなくなったのでしょうか。
 さて、本堂建設も二年の歳月の中で完成を迎えることが出来ました。去る、五月十九日に真言宗寺院の僧侶二十六名と約二百五十名の檀信徒のご参加を得て落慶法要と祝宴を無事に終えることが出来ました。詳しくは六ページでご紹介します。
 人はひとりで生きていけないことはどなたでも理解できるところですが、さて日々意識をしながら生活をしているかというとそうでもありません。時に人から受けた「恩」に感謝しそれを表すことを日本文化の伝承として「御中元」や「御歳暮」という形で残っています。また「内祝」や「快気祝」などお返しの品として気持ちを表すこともあります。このように自らの気持ちを相手にわかってもらえる手段として品物を送ることを習慣としてきました。「ありがとうございました」と言葉あるいは文章で気持ちを伝える方法は日常生活の中では多くみられます。態度で表すときはお辞儀をします。相手に対して頭を垂れるという行為は相手を敬服している気持ちを表しています。
 近年、他人の迷惑を考えず、自分のことしか考えないで生活する風潮が良く見られます。俗に言う「自己チュウ」という自己中心的な生活です。こうした行動には「相手のことを思いやる」という気持ちは微塵も感じられません。このことは残念ながら社会の一員としての存在を自覚していないことと他人に対する思いやりの欠如が起因しています。
 大人は子供の見本となって行動し、学校教育ばかりに頼らず、家庭での教育「躾(しつけ)」をきちんとすることと、社会・地域での集団行動の中のルールを勉強する機会を増やすことが重要と考えます。


仏教からきた言葉
 
「輪廻転生」 煩悩がある限り繰り返し生まれる世界

 根本仏教の教えでは、死後の世界を考えるとき問題となるのが、生まれ変わるという考え方です。仏教には前世・現世・来世に分けて、前世の業(おこない)が現世に影響し、同じく現世の業が来世に影響します。これは仏教の教えの中でも道徳として説かれています。たとえば「悪いことばかりしていると地獄に堕ちるよ」と言うような使われ方をします。つまり悪いことをせずに正しい生き方をしなさいと言う教えを説いているのです。
 仏教の世界観あるいは宇宙観は輪廻する世界【六道】と輪廻しない世界【浄土】があり、我々人間もこの輪廻する世界に位置しています。この【六道】とは六つの世界を言い、下から「地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道」の六つを言います。どの世界に生まれ変わるかは生前の生き方によって変わってきます。これを「因果応報」と言って抜け出ることが出来ないのですが、浄土に行くためには仏教の教えを実践するしかないとされています。

「施餓鬼」 餓鬼に施す

 餓鬼道は六道の中の下から二番目の世界です。前世で人一倍物欲や食欲が強く、その欲望を満足させるために人を恨んだり妬んだりした者が落とされる世界です。餓鬼道の最悪の

苦しみは食べることを一切許されません。この餓鬼道に住する者に対して食物などを施し仏教の教えによって救ってあげようとする行事が「施餓鬼会」としてお盆の頃に行われます。

「こん畜生!」
     行動の結果に腹を立てる

餓鬼道の一つ上は「畜生道」です。人間としての正しい思考が出来ずに動物的な本能のみに従って行動するような者はこの世界に落とされます。弱肉強食の恐ろしい世界に身を置き常に恐怖におののいていなければなりません。「犬畜生にも劣る」と言うときも相手の下劣な行動を罵って言う場合があります。

「修羅場」 激しい争いや戦いの場

六道の話が出たので今ひとつ。「修羅場」の修羅は阿修羅と同じで、その語源はサンスクリット語の「アスラ」の音写語です。阿修羅は元もと天界を護る正義の神でしたが、復讐の念が強く争いを繰り返していたので、人間道の一つ下の「修羅道」の世界に落とされてしまいました。

仏教の教え

「仏教伝来と奈良仏教」

日本に仏教が伝来したのは六世紀の初頭とされていますが、神国であった日本に異教の教えが入ってきたことに敵対心はなかったのでしょうか。当時は遣隋使が大陸からの文化を持ち帰り、その中に教育や芸術という物も含まれていました。当初の仏教は政治的な要素や学問的な要素も混じり合って社会の形態が整っていきました。特に推古天皇の時代に聖徳太子が仏教庇護を行なった事は奈良仏教の興隆に追い風となりました。
奈良仏教の代表的寺院は興福寺、東大寺、法隆寺、薬師寺唐招提寺などの他、全国各地に国分寺を建立し政治と学問の拠点としていきました。この頃の寺院は国立で僧侶も国家公務員のような立場でした。宗教としての活動は仏教教典の研究が中心で実践的な活動はなされていませんでした。
しかし、教典分析ばかりの学問仏教よりも本来の修行を実践した僧もいました。役行者のような山岳修行を実践し念力や法力を会得し、日本の神々と結びついて神仏混淆の基礎を作っていきました。明王寺の開祖である「儀丹行圓上人」も奈良時代の人で華厳経などの仏教教典を学びましたが、後に山岳修行を実践し伊豆国に二寺を建立した後、櫛形山山中儀丹の滝において修行の後、不動明王を感応して現在の地に明王寺と平林に鷹尾寺(現・氷室神社)を建立しました。
次回は「真言宗と天台宗」を取り上げます。


本 堂 落 慶 挨 拶 記念誌から抜粋

                  住職 標  隆光

 「明王寺」という寺が県下に名を轟かしていた室町・戦国の時代は七堂伽藍・達中が立ち並び寺領地は一里四方にもおよぶ広大な土地を有していました。しかし、時代の変転と幾度となく襲った火災によって衰微を余儀なくされてしまいました。現在、境内地と若干の山林を有していますが、この度、明王寺本堂が再建されたことにより、新たな光明となって仏道を実践してまいりたいと思います。特に昨今では人の心が注目される時代となり、とかく不安定な自己中心的な世の中となってきました。今後の未来における人々の不安を取り除き、心豊かな生活を導く格となりうると確信し努力を重ねてまいる所存です。
ここに明王寺の本堂が無事完成し落慶法要を営み皆様にご披露することが出来ましたのも単に御浄財を寄せていただきました皆様方の賜と深く感謝申し上げます。
十件弱の檀家の皆様には多額の奉賛金と度重なる出仕を頂きました。更に日頃から明王寺をご信仰いただいております、四百戸の信徒の皆様方には菩提寺の超えてご寄付賜り深く御礼申し上げます。尚、舂米区の多くの皆様方にはかつての明王寺との関わりをご理解頂きご寄付戴きました事、心より御礼申し上げます。また、親戚・寺族の方々には多額の予算をお願いした上に、それ以上のご寄付を頂き深謝申し上げます。更に、建築工事を司って頂きました拠キ沼工業所の長沼建夫棟梁には少ない建築予算の中で最高の技術を発揮していただき、流麗なる屋根の勾配としっかりとした欅や桧の柱との調和を持って、世に誇れる美しい姿に仕上げていただきました。深くお礼申し上げます。
最後になりましたが、ご信仰頂きます皆様方の益々のご健勝をご祈念申し上げます。



 精一杯の一日

 梅雨入りを思わせる日々が一週間前から続き、ご本尊様に日々願を掛けるも何とも不安な気持ちで前仕度をおこなってきました。落慶法要自体は本堂内で行われますが僧侶の行き帰りや、供養塔の開眼供養、集合写真撮影と太鼓保存会による「甲州はしご太鼓」などの初披露は天候と人出があって盛り上がる祭典です。かくして、式典や祝宴は曇天と薄日の差す天候で終えることができました。「ご本尊さんありがとう。」
 しかし全てが思いどおりと言う訳ではありませんでした。お手伝い頂いた檀家の人たちや親族と他所からの応援も得たが、慣れないことと手伝い手の数は十分ではなかった。不手際や落ち度はこちらが気付かないところにもたくさんあったと思えます。完璧を望むのが当然ですが、今の明王寺の中では限界に近いところで式典を執行した者すべてが最善を尽くして行なった結果ですので、ご理解の程をお願い致します。
 これから明王寺が後世につながり、地域の皆様と共に発展して行ければと思います。どうぞこれからもよろしくお願い致します。

 


追加寄付御報告  

 前回の「明王寺だより」の後にご寄付いただきました方のご芳名をご披露致します。(記念誌重複者あり)追加でお寄付いただきました方は合計金額も併せて記載させていただきました。貴重なご浄財を戴き誠にありがとうございました。なお今後、追加のご寄付(物品を含む)を頂いた場合は次の「たより」の中で順次、発表させて頂きます。 お断り:落慶法要のお祝い金は奉賛金として扱っておりませんのでご了承ください。また、解釈の違いがありましたらご連絡ください。

今回寄付金額   御住所   御芳名      合計寄付金額
 十万円      白根町   中沢 勉一 殿    二十二万円
 十万円      白根町   山口 保雄 殿      十一万円
 十万円      舂米区   中澤 健一 殿      百十万円
 十万円      舂米区   中澤 正之 殿      百十万円
 十万円      舂米区   中澤 竜也 殿      百十万円
 十万円      舂米区   中澤昭太郎 殿     百十万円
 十万円      舂米区   塩澤 一郎 殿      百十万円
 十万円      舂米区   塩澤 幸子 殿      百十万円
 十万円      舂米区   神田 三郎 殿      百十万円
 二万円      甲西町   志村 安雄 殿       五万円
 一万円      東京都   志岐 喜代 殿       五万円
 一万円      竜王町   角倉  貢 殿        二万円
 一万円      舂米区   加賀美信司 殿       二万円
 
今回寄付金額  御住所    御 芳 名
 五万円      川上村    宝 蔵 院  殿(明王寺末寺)
 三万円      韮崎市    横森  力 殿
 三万円      田富町    上原 敏樹 殿
 二万五千円   川上村    林 亀美夫 殿
 二万五千円   川上村    山中 重徳 殿
 二万円      所沢市    樋口 詔一 殿
 二万円      舂米区    加賀美宗光 殿
 二万円      舂米区    深沢 文男 殿
 一万円      八田村    斉藤 禾吉 殿
 一万円      舂米区    神田 正夫 殿
 一万円      舂米区    山本  一 殿
 一万円      白根町    大久保 明 殿

追加物納寄付者(平成十四年四月〜七月)
 塗装足場代      甲府市   早 野 組  殿
 雪洞(三尺)一対   白根町   中込 ゆり子 殿
 十三重の塔      舂米区   甲州増穂美術庵殿
 山門石柱 一基   山梨市   望月石材工業 殿
 山門石柱墨書    舂米区   中澤  桂e 殿
 幢幡(五尺)一対   田富町   赤澤 志げ代 殿
 宝塔 ・仏具一式   田富町   赤澤 志げ代 殿
 ?子(尺二寸)一式   甲府市   村松  君子 殿
 和太鼓(径七十p)  藤沢市   標   千利 殿 
 山門幕白地二間一式 舂米区  中澤  健一 殿
 紺地門幕三間一式          檀 家 一 同 
 本堂東側樋一式           標  隆 天
本堂網戸(四枚)            標  隆 天

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