第9号 H12.5
 


巻頭
「縁 を 結 ぶ」

                                   住職  標  隆光


 春は新たな人との出会いも多い季節です。
 人との出会いは諺にも『袖触れ合うも他生の縁』とあるように、大切にしなくてはいけないものです。この諺の意味は「行きづりに出会うだけの人でも、前世からの因縁によって出会っている」を表しています。この中で「他生」とは今生きている世界を『現世』と言うのに対して、他に生きるところ、つまり『前世や来世』のことを指しています。また、縁は「ご縁」とも呼ばれて尊敬されて使われてきました。この字を縁《えん》と発音して使われる熟語としては、縁起・縁談・縁者・血縁・無縁など人間関係の言葉に使われています。この他には《ふち》と読んで、物の端の意味に使われたり、《えにし》と読んで「ゆかり」の意味でも用いられます。
 この縁は近年の社会情勢下では、人との関わりを避けて、自分本位(利己主義)の生き方をする人が多く見られるようになってきました。つまり「自分さえ良ければそれで良い」と言った考えです。この傾向は核家族化や家庭内において、同一時間を共にする事が極端に少なくなってしまったことも影響しています。一緒に生活していても、家事や労働を家族全員ですることがなかったり、家庭内の会話の減少によって、人との交流の取り方が上手く出来ない人が増えています。
 さて、主題に掲げた「縁を結ぶ」は文字どおり縁結び、つまり結婚(縁談)について提言をします。
 近年は男女平等が称えられて、女性の社会進出や女性主導の世の中に変わり、男中心の社会構造から現在では、女性中心の社会へと変化しつつあります。このことは結婚観にも影響して未婚主義や晩婚化と言った問題も現れています。ただ一番問題になっていることは、子供の数が少ないために、跡取りに嫁や婿が来ないと言うことです。長男の所に嫁に行くと家族関係が複雑になったり、親の介護をしなければならないと言う苦労が先に見えてしまって、結婚話にもなりません。また、姉妹だけの家庭には婿取りと言うことになりますが、これも次男・三男の数が絶対的に少ないのでまず無理です。
 以上のことを解決する方法は、結婚したいけれど出来ない双方が歩み寄るしかありません。何時までも跡取りだからと言っていると一生独身で終わってしまいます。
 当寺では良縁縁結び祈願も行っています。ご相談下さい。


心の教育 9

  「無法化した社会と子供達」

 最近、警察の不祥事が次々と明るみに出て嘆かわしい限りです。世の中の悪を退治して、善良な市民を助けてくれる頼れる味方な筈です。警察官の全部が悪いわけではないことは判っていますが、社会に与える影響が良くありません。犯罪の低年齢化と凶悪化も重大なことです。善悪の判断や更生の余地があると言うことで少年法がありますが、中学生以上で在れば、特別な教育をしなくても判断ぐらいは付くはずです。ただ頭に血が上ってしまって、我を忘れた状態(切れる)で事件を犯してしまう場合は、精神修養を必要とするでしょう。
 法律が在っても機能しない状態を無法地帯という言い方をします。また、そこで悪事を繰り返す人を無法者と呼びます。この言葉は外国の秩序が乱れた土地で使われる言葉と思っていましたが、このままでは日本も同様になる危険があります。法律を守らせるのは誰の仕事(役割)でしょうか。警察官だけだとしたら日本は無法地帯となるでしょう。隣にどんな人が住んでいるのか判らない様な所に犯罪も多くあるように思えます。つまり、地域全体で秩序ある社会を築く努力をしなければいけないのです。その様な環境の中で健全な子供が育っていくのです。このことは行政の力をかなり借りないと、どうしようもない部分がありますが、横行している青少年の非行だけは、早く更生させる道を作るべきだと思います。


仏教の教え 1

    「仏 教 の 成 立」

 仏教の根本を正しく知っている人は割と少ないものです。 仏教とは「仏陀の教え」のことで、仏陀とはサンスクリット語で【ブッダBuddha】の音写語で、その意味は「真理に目覚めた人」つまり仏教とは、『真理を覚ってブッダとなった人の教え』と言うことになります。この最初に真理を覚って仏陀となった人、それがお釈迦様なのです。
 ここで知っているようで良く解っていない、お釈迦様の事を記してみましょう。お釈迦様は二千五百四十三年前にインドとネパールの国境付近にある、シャカ族の王子としてお生まれになりました。名前については幼少の頃は、『ゴータマ・シッダッタ(シッダールタ)』と呼ばれ、二十九歳で沙門(出家して仏道修行をする人)となり、三十五歳で悟りを開いてからはゴータマ・ブッダと呼ばれていました。これと同時に「釈迦族の聖者」と言う意味の『釈迦牟尼世尊』あるいは縮めて『釈尊』とも呼ばれていました。
 二千五百年以上も時間が経ってしまうと超人化され、伝説化してしまった所もありますが、その真理は人間の一生は苦るしみから逃れることが出来ないことを理解し、避けて通ろうとする考えを捨てる事にあるとしています。(次号に続く)


仏教Q&A

  「仏壇の中が位牌でいっぱいになって
   しまったのですがどうしたらよいでしょうか」


 まず位牌とは、亡くなった方の「依り代」(魂を宿したもの)といえますが、もともと中国では儒教の習わしの中に板木に存命中の官位や姓名などを書き記して、神霊に捧げる習慣を仏教(禅宗)が引用して日本に伝えられたものです。
 お位牌を粗末に出来ないのは、前述のようにご先祖様の御霊が込められた大事なものですから、古くなったり、置き場所が無くなったからといって、安易に処分できないのはお解り頂いているところです。
 ではどのように対処したらよいかというと、まず五十回忌を目処に、菩提寺にお願いして「お焚き上げ」いわば魂抜きの式をお願いします。次にお焚き上げに出されたお位牌の代わりに、お戒名を別に書き記して於かれるが良いと思います。
 それには繰出し位牌と言って、お位牌の中に薄い板が何枚も入っていて、その一枚一枚に戒名を書き入れておけるものや過去帳(仏壇にお祀りしてその家の代々のご先祖様を書き記した過去帳)に残しておく方法があります。
 このようにお位牌は、私たちのご先祖様を偲ぶ対象のものでもあり、お戒名はご先祖様の遺徳を表わしているものでもありますから、心から帰依されるのが望ましいと思います。


仏教からきた言葉

慈悲

 時代劇などを見ていると役人にとらわれた罪人が「どうかご慈悲をお願いします。」と懇願している光景を見ますが、ここで言う慈悲とは「良い計らいを」とか「裁きを軽くして情け心を加えてほしい」と言った意味に使われています。
 慈は「いつくしむ・あわれむ・情けをかける」と言う意味で、悲の方は「かなしむ・あわれむ・なさけ」と言った意味で、両方とも「あわれむとなさけ」の意味があります。
 仏教は『慈悲の宗教』と呼ばれています。慈悲とは「全ての人々に深い愛情を持ち、安楽を与え、悩める苦しみを取り除き思いやりの心を持つ」と言う意味合いがあります。
 これに対して、キリスト教は『愛の宗教』と呼ばれています。人間を遙かに超越した神から授かる愛は、全ての人々に平等で、犯した罪も神の愛をもって救われることが思想にあります。
 本来宗教というものは、共存する社会の中で、救いの手を差し延べ心を癒すものなので、仏教もキリスト教も発生の時代や民族が違っていても、人間の精神には同じ作用が働き、今日もなお、世界宗教として信仰されているのだと思います。
 現在の世の中は、残忍な犯罪が多く、相手の苦しみや痛みを自分に置き換えることが出来ない人が増えていることも要因になっています。仏教の教えの中には相手の立場を考えられるような、心のゆとりを見つけ出す教えが沢山あります。


開山1230年祭 開催ご報告


 平成十二年三月十二日、二十五年に一度の柴灯護摩大法要(火渡り修行)が開催されました。
 明王寺がこの地に創建されたのは、西暦七七〇年でしたので、一二三〇年の歳月が流れたことになります。これを記念して、国の重要文化財(旧国宝)である「薬師如来像」をご開帳しました。
 当日は朝から雨が降っていたため、開催も危ぶまれましたが幸いにも、昼前には上がり風もなく穏やかな天気となり火を焚くお祭りとしては最高の天気となりました。
 午後一時半に稚児行列が、法螺貝と花火を合図に舂米公民館を出発し、一キロ半ほどを行進して寺に至りました。稚児加持の後、記念撮影をし柴灯護摩の法要に入りました。
 導師は住職が勤め、真言宗修験僧七名が諸役を勤めて頂きました。まず、結界を巡らした道場を清め払って、法弓の大事、法剣の大事と進み、不動明王を始めとする五大明王を招喚して本日の祭典の願文を奉読し、国家安泰・寺門興隆・檀信徒安全・諸願成就を祈願しました。前作法が終わるといよいよ肩の高さ程に組まれ、檜の葉で覆われた護摩壇に火が点火されました。真っ白な煙が立ち上った後に、赤々と立ち上る火炎の勢いは時間と共に勢いを強め、全ての物を焼き尽くし清浄となる炎に変わっていきました。炎が高々と立ち上る中、導師は真言秘密加持による護摩修法をもって、祈願成就を修しました。点火から三十分ほどして、まだ炎の立上がる残り火を分けて、自らの煩悩と穢れを焼き尽くすと言われる火渡り行を、住職を先導に来賓と檀家総代・信徒総代・世話人の方々が渡りました。その後、小さな子供は、行者に抱かれて火中を渡り、次に一般の方々が百数十人、ほぼ全員が無事に渡り終えられました。この経験はきっと一生の思い出になられたのではないかと思います。
 今回のお祭りに関しては、準備の段階から多方面の方にご尽力とご厚意を頂いて、開催に至ることが出来ました。まず、中富町・大聖寺の石田永明ご住職には、式次第の一切を最初から教え導いて頂き、お借りした物や仕度の準備に於いても殆どを快く受けて頂きました。韮崎市の挙衷M建築様には護摩壇の組み木を八十本ご寄付頂きました。また、祭典会場造成を、舂米区の神田工業・神田武夫様に、音響設備と篝火を飯久保葬具店様に、花火打上げを内池煙火店様にご協力頂きました。その他、檀家各戸の皆様と信徒の代表の方々には、準備や祭典中の諸役を無償にてご出労頂き有り難うございました。読者の方もご理解頂き、紙面を借りてお礼申し上げます。この他ご来賓として県会議員・深沢登志夫様、増穂町々長・田中隼人様、増穂町議会議長・河西栄三郎様のご出席を賜り、ご祝辞を頂き誠に有り難うございました。
 明王寺本堂再建計画について

 現本堂は老朽化に伴い、倒壊の危険が出て参りましたので、建て替えすことになりました。昨年末より数回の会議を重ね、建設委員会の設置に至り、続いて各地区役員も決定されて、目標となる建設金額や規模及び寄付金の振り分けなど、詳細に渡って決定いたしましたので、ここにご報告申し上げます。(但し、奉賛金の集まり具合によって規模の変更があります)
 
 木造入母屋造り 約三〇坪(建設図参照)
 総工費     三〇〇〇万円以上
 工期      平成十三年一月〜同年十一月
 奉賛期間    平成十二年五月〜平成十四年十二月

 明王寺はもともと檀家寺ではなかったため、現在に於いても檀家数が十件と微数でございます。また、檀家各戸と住職始め親族においても精一杯の奉賛を致しますが、かなりの金額が不足する見込みでございます。このため信徒並びに明王寺とご縁の在ります皆様方のご協力を得なければ、到底完成には至らないのが現状でございます。このような状況をお含み置きの上、どうか絶大なるご支援をお願い申し上げる次第でございます。        明王寺本堂建設委員一同
住職 標 隆光 拝
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薬師如来御真言(病気平癒)
 おんころころ せんだり まとうぎ そわか

光明真言(罪業消滅・仏法崇敬)
 おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらはりたやうん

弘法大師御宝号
 南 無 大 師 遍 照 金 剛


読者コーナー

 俳 句

春祭 姿勢正して 火を渡る      甲西町 井上 光子

僧十人 ふく法螺貝や 春一番     甲西町 井上 光子

パパ・ママの 期待に重い ランドセル   白根町 塩谷 道子

若葉ゆれ 笑顔がこぼれる 通学路   浦和市 保坂 恭子
中学一年 十二歳
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 川 柳

誤作動も なくてするりと 二〇〇〇年 櫛形町 市川まさる

平和すぎ 親父のドラマ 無駄がない  白根町 塩谷 道子

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 短 歌

孫二人 大学高校 合格す
我が家に パッと 春の花咲く     櫛形町 市川まさる

たたみし傘の露払ひつつバスに乗る
鎌倉参りの 今日は雨なり      甲西町 深沢 京子

散りちるも また美しと思ひつつ
桃の花びら 眺めてゐたり      甲西町 深沢 京子

亡き夫と 強くなろうと 約束し
心身疲れ 在りし日偲ぶ        白根町 塩谷 道子

編集後記

 今回で第九号を発行することが出来ました。回を重ねる内に、私自身も多くの勉強をしながら執筆に携わっています。より紙面の充実をと考えていますが、殆ど独りで紙面構成を行っている関係上、大きな変化がないのも悩みの一つです。何か行事があった折りなどは、ご感想などを送って頂けると幸いです。次号締め切りは七月末です。お待ちしています。
 開山千二百三十年祭には数多く方のご参拝を頂き有難うございました。二十五年に一度のお祭りと言うこともあって、準備には苦労もありましたが、多くの皆様方のご協力を頂き無事に開催することが出来ました。改めて御礼申し上げます。なお当日の午前中は雨が残ってしまい、開催が中止と思われたお方も多いと伺いました。お願い事をお書きになられた『護摩木』(前回同封いたしました二十二センチの小木)は、お参りの時か、冬至祭の時にお持ち頂いても結構ですので、保管しておいて下さい。
 「甲斐百八霊場巡り」という番組が、テレビ山梨(UTY)で放送されていますが、五月三日 午前十一時二十五分から五分間です。お昼前の慌ただしい時間ですが、ビデオなどに撮られて是非ご覧下さい。また、総集編や案内本の出版も夏以降に企画されています。      (隆)

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