第7号 H11.10


巻頭
 「共生を意識する」

                  住職  標  隆光

 今年の残暑は長く厳しいものでした。最高気温が三〇度を超す日々が九月下旬まで続きました。自然界でおきる全ての現象は、人間が作り出した道具では未だ一〇〇%予想を的中するまでには至っていません。それでも天候に関しては気象衛星で雲の発生状況が手に取るように判るため、二日位先の天気は高い確率で的中するようになりました。しかし、長期予想や地震の発生時期などとなると、まだまだ頼りにならないと言ったところです。
 トルコや台湾の地震では多くの犠牲者が出てしまいました。九月一日の防災の日に訓練めいたことをしましたが実際に即した行動がどの程度出来るのか不安です。
 さて自然というと最近では環境破壊が懸念され、地球の温暖化やフロンガスによるオゾン層の破壊、排気ガスやダイオキシンの人体汚染など高度文明社会がもたらした恩恵(楽)のツケとしてあらゆる問題が浮かび上がってきています。
 そこで人間という一個体を考えてみましょう。今まで人間はこの地球上で最高の知能を持ち地球を支配してきました。つまりこの地球の持つ自然のルールを無視して自由に使用してきました。
 ここで最近言われ始めた『共生』という意味合いを探ってみましょう。「共に生きる」と云う意味ですが、人間も自然の中の一部(一員)であることは言われれば誰も納得するところです。しかし、ごく普段の生活の中では余り意識をしないで生活しています。環境を破壊しているとは誰も気づかずにいます。この事は知らず知らずの内に空気や土壌や水と云った自然界のものから、気候や紫外線と言った間接的に影響を及ぼすものと、化学が生み出した新しい物質が自然界に吸収されずに半永久的に存在し、人体にも蓄積されて発病したりする恐ろしい物質が沢山あります。自然界の作用を理解し、人間の傲りを捨てましょう。仏教の教えのなかには自然界を五大(地水火風空)として表し、この世に存在している以上は必ず周りの影響を受け合いながら変化しているとされています。したがって人間関係に於いても争いをなくして共に生きる事を実践しなければなりません。そして自然を大切に守り、その中で我々は生かされていることのありがたみを理解し、この美しい地球を後世に残していくことが、現在を生きている我々の使命ではないかと考えます。


心の教育 7

  「大人は子供の手本」

 最近の報道による警察官の相次ぐ不祥事は法を守らせる側の悪行だけに大人社会の恥を子供に見せつけた思いでとても遺憾に感じました。実際、人の手本となるべき地位の政治家や教師・公務員が賄賂や性的な問題を起こしたり、一般人の中でも保険金詐欺殺人や凶悪犯罪がたびたび発生している事はご存じのとおりです。この様な社会環境の中で未成熟の子供達が成長していく過程によい影響がある訳がありません。
 社会のことに目が向くまでの子供達は身近な大人が手本になる人となります。それはどのような人かと云えば、当然として両親や祖父母、次に学校の先生、その他親戚の人達や近所の人などです。その他、子供社会には兄弟の影響や友達の影響も関係しています。核家族が進んだ現在では特に親の行動を見て子は育つと云われています。いくら親が偉そうなことを子供に説いても、自らの行動が伴っていないと子供は納得しませんし、反論されてしまいます。
 仏教には次のような教えがあります。七仏通戒偈と云う経文には「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」これを和訳すると『諸々の悪しきことはしない 人々のために善い行いをし 自らの心を清浄にすること 是が諸仏の教え(仏教)である』常に人の模範となるよう日々精進を怠らず、仏の教えに従いましょう。


幸福を考える 7

   「他人を非難しない」

 どんな人間にも悪いところ(欠点・短所)はあります。
ただその悪いところを直そうとする努力は認めて上げなければいけません。また、お互い同士のコミニュケーションは、常日頃の会話やスキンシップなどの交流が必要です。
 何かを相手に要求したり、変革を求めるときなどは、相手の立場や考え方など事前の理解がないと必ず啀み合いになってしまいます。和顔愛語の実践がお互いを傷つけることなく和気に包まれて生活できてきます。それからお互いの中が上手くいかなくなったら、肩肘を張らずに素直に謝ればよいと思います。それはどちらが悪いとかを気に掛けていると感情だけに支配されて、つまらない生涯となってしまいます。
 現在の姿(状態)を改めようとするなら、過去の原因となったことを修復しなければなりません。それには勇気と改心がなければ実行できません。人生は楽しく過ごすことが本来の幸せであると思います。いがみ合ったり人の悪口だけを言い合って過ごす人生など送りたくはないと思います。基本的には若い人の方から改心を表すのが筋ですが、年輩の人が自分を卑下して新しい考え方に改めていく姿も自分を押し殺した(我を捨てる)立派な生き方だと思います。


健康長寿の実践 3

  「足の裏健康法」

 ほんの三〇年前と今とでは生活環境は大きく様変わりして便利且つ自由で苦労は悉く少なくなりました。
 電化製品が普及して全ての手間が省けています。また、移動の手段としては自動車や電車、旅客機などの乗り物は時間の短縮をもたらしました。その結果として我々の体は特別のスポーツや運動、体操やウォーキングなどでわざわざ体を動かさなければならなくなってしまいました。
 体は動かしていないと健康を保てないと云うことあります。動かすことについてはいろいろなことがありますが、大事なことは全身の筋肉を平均的に使うことが一番です。これを実践しようとすると大きな運動量が必要になります。
 さて題目にもありますように足の裏の効用について説明いたします。皆さんはツボ(経絡)を刺激することによって体の不調を改善できることはご存じのことと思います。足の裏にはツボ以外に反射区と言う部分もあり、狭い範囲にからだ全身の神経が集中しています。
 体全身のツボを押すとなると誰かに押してもらわなくてはなりませんし、専門的知識や時間もかかります。しかし足の場合は自分で出来ますし、細かい位置や技術も必要としません。大ザッパのようですが素人がやろうという観点では足の裏全体を叩いたり揉んだりして刺激を与えることによって悪いところの改善は勿論、病気の予防や体力アップにも繋がってくるのです。さらにボケ防止にも効力があります。ごく簡単な方法では5本指の靴下と普通の靴下を一日おきに履き替えるのです。こうすることで脳に刺激が伝わってボケを防いでくれます。昔の人は足袋を履き、わらじや草履、下駄などの鼻緒で刺激したり、石ころ道を草履やわらじで自然に足の裏を刺激していたのです。是非おためし下さい。


仏教Q&A

Q 飼っていた犬が死にました。家族同様に長い間共に住ん  でいたので、お経でもあげてもらえればと思いますが

A 当寺ではお経をお上げしています。
  長い間家族同様に生活を共にし、愛情が通っていたペットであればなおさらです。子供がいない家庭などは自分の子供であるかのように愛情を込めていたことでしょう。最後のお別れをすると共に、命の尊さや無常を理解する機会になるはずです。
 また、飼い犬の死後どうするかばかりでなく、どのように動物と接するかは最近のニーズです。世界の各地からいろいろなペットが家庭に入ってきています。可愛いだけの飼い方には問題があり、人間中心の飼い方も見直されてきています。さらに推し進めれば、自然を見る目を養う必要も迫られています。こうしたことも巻頭でも述べた『共生』に繋がる生活の一部であるはずです。ペットを飼う人達のモラルも問題になっています。地域の環境や周りの人達に対する迷惑と言った心配りも大事なことです。そうしたことの出来る人が始めてペットを飼う資格があるのです。


仏教からきた言葉

無垢

垢は【アカ】とも読みますが、ここでは煩悩のことを意味し、無垢とは煩悩を離れて清浄な事を指します。
 使い方としては結婚式の時に花嫁さんが、白無垢の衣装を身にまとうのも、汚れがなく清浄であることを表しています。 また、混じりけのないものと言う意味もあり、家具などの木工製品で無垢一枚板座卓とか、黒檀無垢の仏壇などと云う使い方をします。


曼珠沙華(彼岸花)

 梵語(サンスクリット語)のマンジューシャカの音写文字。
秋のお彼岸の頃に赤い花だけを先に咲かす球根類です。この花の意味合いは「この花を見るものは自ずから悪行を離れる事が出来る」といい、元来は天界の花であるとされています。
 しかし、皆さんが小さい頃呼んだ名前は「はっかけばばぁ」なんて呼んでいませんでしたか。そしてこの花にさわると歯が欠けてしまうなんて教わり近づき難い花ではなかったでしょうか。『葉欠け花』が転じて『はかけばぁ』になって『はっかけばばぁ』になったのだと想いますが、これは山梨だけのことでしょうか。
真言密教とは

曼陀羅(まんだら)

 曼陀羅とはサンスクリット語の音写文字で意味は「本質のもの」を表します。現在ではこの大意を持って仏の覚りの境地を意味し、そこは神聖な道場であり壇を設けて仏界の仏や菩薩、天人などを集めて絵図としたものを一般に曼陀羅と呼んでいます。密教の根本経典に書かれたものを絵図にした金剛界曼陀羅は金剛頂経と言う経典から、胎蔵界曼陀羅は大日経を元に描かれています。この他、仏教の思想を表した「四種曼陀羅」や密教の曼陀羅になぞって、浄土宗では「浄土曼陀羅」日蓮宗では「十界大曼陀羅」などがあります。


読者投稿

 「檀信徒だよりは我が家の心の支え」
                浦和市  保坂 みさお

 《前文略》
 日頃より家族並びに親戚共々お世話様になりまして、心よりお礼を申し上げます。又、『檀信徒だより』を毎号遠方まで送付して頂きまして感謝の念にたえません。ありがとうございます。
 創刊号から毎号を通して、人間として親として考えさせられることや胸打つこと、改めて心に刻むこと、又、知っているようで全く知らなかった仏教の教理を分かり易く導いて下さり、夫も娘も家族で大切に拝誦させて頂いております。
 『心の教育』シリーズに於いては忙しい日々の中に居て、皆それぞれ置かれる立場でふっ≠ニ立ち止まり忘れ去られている大切なことを気づかせて下さる、正しく心の教育であり大変勉強になっております。
 『だより』第二号に掲載されておりました「御真言」を子供はすぐに覚え、連ねて私も「不動明王御真言」(災難除け)や「薬師如来御真言」(病気平癒)をお唱えし、日常の心の支えとさせて頂いております。お唱えすることによって自然と心が安らぎ、不思議なほどに願い事を叶えて下さいます。
 元来、人間とはとても弱い精神の持ち主であるが故に、こうして神仏の助けをお借りすることによって、心身の拠り所となっているように思われます。人様の為にもお唱えし、わずかでも苦しみや悲しみを和らげてあげられればと思っております。
 又、見失いがちな幸福とは何かを『幸福を考える』シリーズでいつも問いかけて下さり、日々感謝と謙虚な心で帰依することを改めて教えて頂いております。
 この『明王寺檀信徒だより』によって、わたくし達は知らず知らずに受ける仏教の理念、冥加により今日生かされていることに、心静かに手を合わさずにはいられません。
 どうぞ未来永劫、わたくし共を仏教の教えに導いて下さいますよう、切にお願い申し上げます。
 《後文略》


 筆者紹介
  甲西町湯沢出身(旧姓 中山)
  現在 埼玉県浦和市に夫・長女(小学六年生)の三人家族



 

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