第1号創刊号

創刊にあたって

  「新たと言うこと」

                  住職 標  隆光

 この度、「明王寺檀信徒だより」発刊にあたり、その経緯と主旨をご理解頂きたく併せてご挨拶申し上げます。
 わたくしは昭和五十四年から二年間、東京秋葉原の「神田寺(かんだて゜ら)」と言う寺で法務の傍ら月刊「真理」と言う仏教誌の編集及び発行の仕事をしてきました。その当時から衆生(一般)向けの教化については基本から勉強して参りました。私自身、人生半ばにして人の道を説くは烏滸(おこ)がましいと思いますが、仏教の教理に基づき、また真言密教の奥義を合わせて皆様方の人生の一灯としてお役立て頂けたらと思い立ち発刊に至った次第でございます。
 皆様ご存じの通り、昨年正月に前住職遷化に至りその後、明王寺住職として檀信徒の皆様のお力となって参りましたが、私自身本格的に前住職の後を引きついでからはすでに十年以上になります。今後もご本尊様のご法力を得て法灯の伝承を護りながら、新たに行事を設け、多くの皆様と交流の場を増やしていきたいと思います。わたくしの責務は少しでも過去の隆盛を取り戻すことが出来るよう努力していくことだと考えています。
 次にその他の内容につきましては、昨今の青少年の諸問題に政府・文部省等本腰を入れて心の教育に取り組んでいますが、即効力のある手段は時間が掛かりそうです。これからは宗教の力も加えていかなければならない時代だと思います。その他、テレビ・映画・マスメディア・テレビケ゜ームなどの影響力も大きく及ぼしています。後に詳しくまとめていきたいと思います。
 さらに真言密教の教理と仏様について解説していきます。仏像の名前や仏教語句など聞いたことはあるが深い意味合いは知らない事など沢山あると思います。一度に掲載できませんので徐々にご紹介していきます。
 その他、読者参加コーナーを設けます。俳句・短歌・川柳ご意見感想等応募をお待ちしています。また、寺の行事や報告など檀信徒の皆様に様々な情報をお伝えいたします。
 新しくやっていくことも多くなりますが、皆様の参加を得て意味深い檀徒及び信徒会となっていければと考えています。
 創刊にあたり、暗夜に灯る法灯と成るべき皆様方に末永くご愛読いただき人生の一助と成れば誠に幸甚でございます。


     明 王 寺 の 歴 史

 明王寺が開創したのは今から1228年前の西暦770年、宝亀元年とされています。開祖は儀丹行円上人(ぎたんぎょうえんしょうにん)です。その頃の日本は奈良時代でした。日本に仏教が伝来したのは西暦538年ですので仏教伝来から230年後に明王寺は作られたことになります。その当時の仏教は南都六宗(華厳・法相・三論など)で、上人は始め三論宗を学び、次に華厳宗奈良東大寺の末寺となりました。
 開山の儀丹上人は伊豆国で修行中、瑞光の光に導かれて櫛形山の山中にやってきました。山中に落下30bの滝(現在、儀丹の滝)に行きあたり修行の地と定めて日夜修行を経て不動明王の霊像を得ました。お不動様を背負って山を下り、現在の地まで来ると急に重くなり動けなくなってしまいました。ここが寺院建立の最適地として明王寺を建立したのでした。
 その後、平安京(京都)に都が移ってから(794年)最澄や空海によって密教が入ってきました。それに伴い真言宗に移り京都醍醐寺の末寺となり中本寺格の寺となりました。真言宗に改宗してから江戸時代にかけては真言宗の法灯を継ぐべく全国の出家僧や修行僧の集まるところであり、伽藍以外にも周辺には多くの末寺や僧坊が点在していました。
 明王寺が一番隆盛を誇っていたのは鎌倉・室町時代頃で、七堂伽藍が立ち並ぶ大寺院であったと伝えられています。しかし、武田家滅亡と同時に信長の兵火に合い全山悉く消失してしまいました。江戸時代に再建されますが二度の火災で規模を縮小してしまいました。明治に入ると神仏分離によって、舂米村の鎮守として熊野権現を祀る不動堂と社地を寄進し、また、平林村の鎮守(現在氷室神社)として当寺、奥の院「鷹尾寺」を寄進し、規模を縮小。第二次世界大戦後GHQによる農地改革政策によって収入の糸を絶たれてしまい衰退の一途をたどりました。しかし、前住職隆照和上によって再び真言加持祈祷を実践し、多くの人々から信心され今日に至りました。


幸福を考える 1

    「己を叱って人を責めず」

 人間が生活する上で家庭は大変重要なものです。この世に生を受ければ一人の力だけではとうてい生きていけません。必ずや人や物の力を借りています。いくら年を重ねて偉くなったとしても一人ではなにもできないのです。
 よく自分のことを棚に上げて他人の文句(悪口)ばかりを言う人がいます。そこには自惚れ(うぬぼれ)と自制心のない、人から嫌われるタイプの人が多いようです。自分の過(あやま)ちを他人の責任にする卑劣な人がいます。まず他人を避難する前に自らを省みましょう。自分は果たして正しいのか本当に相手が悪いのか。常に相手の立場や気持ちを気遣って言動を取ることに心がけましょう。
 仏教の教えの中に「謙虚(けんきょ)」と言う言葉があります。年を重ね人の上に立つ身になればなるほど強く意識した方がよいと思います。家庭の主(あるじ)と言えども全く同じ事です。父親(家長)が家族全員の気持ちをつかんでいるか、家庭を丸く笑顔の絶えない家庭となるよう努力しているか。近年の社会事情は収入の第一を会社勤めから得ている家庭が殆どです。家族の結びつきが薄れる中、家庭を明るくする事に家族全員で努力しましょう。また家運隆昌はその家の主(あるじ)の人間性に掛かっている事も忘れてはいけません。


心の教育 1

    「まず大人から襟を正そう」

 昨今の子供問題は深刻きわまるところに行き着いています。
子供は大人が作った社会の中で生活しています。文明が発達し、物欲は満たされ、なに一つ不自由がない生活とお金さえあればどうにかなる社会構造が精神を歪めています。
 また、学力優先主義がもたらした自己中心主義の競争社会から人を思いやる心や優しさが無くなり、排他的な感情をもたらし、情動のコントロールが出来なくなってきています。テレビの番組やゲームに於いても破壊的快楽をもたらす物も多くあります。
 教育の根底は生活指導や法律(規則)によるものだけでなく、自らの自制心によって道徳と社会構成員の自覚を持って生きる意味を教え、なおかつ家庭教育(躾・優しさ・尊敬等)がなければならないと思うのです。しかし、現状の学校は無法地帯と化して、言葉で理解し合えない悩みがそこにあります。先生の権威についても失墜しています。
 家庭側を見ると、自分の子供が不良になった事を学校の先生に責任をなすりつけている親が残念ながら多いのも事実です。子供をしつけ、家庭教育で優しさや厳しさを教えることを身をもって教えられない親の実体がそこにあります。
 他の面では大人社会のモラルはどうでしょう。情報社会の今、大人(特に人の模範となるべき器の人)の犯した不祥事や犯罪は子供の道徳教育にとって良い訳がありません。これから先は、まず大人が正しい道を歩み、進んで子供の模範となり、責任ある行動を執ることではないでしょうか。
 単に過去を責めるより、何が悪かったのか、何が足りなかったのか分析することが必要です。まずは大人社会を健全にし、これからの対策や新しい教育体制を早急に確立し、共に努力していく事が重要だと思うのです。


真言密教とは

 「真言宗」
 真言宗の開祖は弘法大師空海であることは皆さんご存じでしょうが、密教の発祥や教義については複雑です。
 仏教はお釈迦様が開いたのですが、それ以前にインドにはバラモン教という教理がありました。仏教とバラモン教が結びついたのが密教の成立となったわけです。丁度、日本で神道と仏教が結びついたのと同じです。北インド〜チベッツト〜中国〜日本へと伝えられてきました。
 弘法大師が唐から受け継いだ真言宗は高野山金剛峰寺を根本道場として法灯伝承してきましたが、その後、十二大派及び諸派が起こり今日に至りました。
 明王寺は真言宗智山派に属し総本山は京都智積院、大本山は成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院などと同じです。山梨では勝沼・大善寺、塩山・放光寺、湯村・塩沢寺などが有ります。
 教主は大日如来ですが、各寺院のご本尊は一定ではありません。これは不動明王・薬師如来・観音菩薩等全ての仏は大日如来に包括され、現世利益においては大日如来の持つ力(徳)を分担しておられる所以です。
 お参りの時の合掌は金剛(こんごう)合掌で祈願をしていただいています。密教では印(印契)を結ぶ 例えば忍者が術を使うとき胸の前で両手の指を結ぶあの形は、金剛界大日如来が結んでいる智拳印と同じ形です。ちなみに普通「合掌」と呼んでいるのは虚心(こしん)合掌という名前が付いています。


読者コーナー

 俳 句

郵便物 ストンと落ちて 寒明ける   甲西町 井上 光子

ポスト迄 百歩足らずや 春の雨    甲西町 井上 光子

雪だるま 解ける間もなく 綿帽子   標  隆光


 今年はエルニーニョ現象(太平洋赤道付近の海水温が上がる現象)の影響で異常気象が続きました。60年ぶりの大雪ということでしたが連続して降った大雪には予想外の被害が出てしまいました。桜が咲いてからの雪も昭和40年頃有りましたが四月に入ってからの寒さには「暑さ寒さも彼岸まで」のことわざも今年は通用しませんでした。今後も大気汚染や地球温暖化で異常気象は続くことでしょう。

檀信徒の皆様からの投稿(俳句・川柳・短歌・ご意見・ご感想等)をお待ちしています。

明王寺役員紹介
 檀家総代    中澤 健一(舂米)
   同      中澤 正之(舂米)
 信徒総代    久保田文男(韮崎市)
 信徒世話人   中山 高成(甲西町)
   同       中澤 勉一(白根町)


行事案内

不動明王木版画彩色塗り 毎月第三日曜日  午後一時半
先着二十名 電話にてご予約下さい
 当寺所蔵の県重要文化財の不動明王版木から刷り起こされた物に着色をしていきます。
参加費 初回のみ2000円 絵の具と筆はこちらで用意いたします。

同時開催 「写経会」般若心経初心者向け 参加費 千円


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